月別アーカイブ: 2020年7月

もっとキニナル#4

先日7月25日、水泳の県総体の代替大会の取材に行ってきました。

7月17日放送の「キニナル」で紹介した
広島観音高校3年生の森川莉子さんのレースを見てきました。

 

森川さんの専門は4泳法の中で最も体力を必要とするバタフライ。
しかも一番距離の長い200mを得意としています。

 

ひとこと言わせてください。(ちょっと雑な言葉で…)

200mはやばい。

しかもバタフライで泳げるのはまじでやばい。

 

…アナウンサーらしからぬ言葉を使ってすみません。
というのも、私も競泳経験者だからこの感覚が分かるんです!

 

 

私実は1歳からスイミングに通っていまして、
小4くらいからは大会にでる選手コースでがっつり泳いでいました。

なんか水着姿はそれっぽく見えるでしょう?笑

ですが、あまり放送で言っていないのは、
そんなに速くなかったからです^^;

決勝に進んだのも、リレーで1回あるくらいで、
輝かしい記録は残念ながらありません。

 

当時の私は50m、100m自由形など短距離が専門。
200m以上はペース配分などの駆け引きも必要と難しさがあります。
私はそこが苦手で、短距離のように前半から突っ込んでしまうため
長距離は最後溺れそうになりながら泳いでいた苦い思い出が…笑

 

加えてバタフライは大の苦手!
1度リレーで100mを泳ぎましたが、
最後25メートルは手が上がらず…
何とか泳ぎきったものの、トラウマになるくらい苦しいレースでした;;

 

 

そんなバタフライをペースを落とさず、
200m泳ぎ切る森川さんは本当にすごい!

アナウンサーとしてではなく、
競泳経験者として競技にかける思いを聞いてみたくて
「キニナル」で企画したのです。

 

 

ちょっと私自身の話が長くなってしまいました。
森川さんの話に戻します。

 

 

去年は県大会で大会新記録を出し、インターハイ出場しました。
「来年はインターハイ入賞!」と意気込んで練習している中
新型コロナの影響で大会中止が決まります。

 

中止が決まった時のことを「絶望」と表現した森川さん。
モチベーションを保つことが難しく、
泳ぐことをやめることも考えました。
しかし代替大会の決定。
両親、コーチ、友人の言葉が森川さんを後押しし、
代替大会にすべてをぶつける思いで挑む決意をしました。

 

その結果は、

見事優勝!

 

記録は2分18秒05。
自身の大会記録2分17秒99にはわずかに届かず、
記録更新とはなりませんでしたが、
後半の伸びなど森川さんの強みが見られたレース展開でした。

 

そして終わったあとは仲間と笑顔の森川さん。

ずっと水泳と向き合い頑張ってきたからこそ。
青春だなあと感じました。

 

高校卒業後は夢に向かって勉強を頑張るため
水泳人生は高校で一区切り。

12年間水泳に向き合い続けてきた森川さん、
きっとこれからは夢に向かって進み続けることでしょう!

これからも応援しています!

レース後の表彰台でのポーズ。
普段はおちゃめな女子高校生です^^

(私はなんか「ダンシングヒーロー」みたいになってしまったゾ・・・)

 

もっとキニナル#3

きのうのキニナルで紹介した下村幸男さん。

 

取材しようと思ったきっかけは、
7月10日放送のキニナルで取材させていただいた
サンフレッチェ仙田信吾社長のインタビューです。

 

放送内容とともに振り返りますと…

 

サンフレッチェを始めJクラブは
新型コロナの影響で試合が一時中断。

現在は再開されましたが、
観客を段階的にいれている状態で
100パーセント入れることはまだ難しいのが現状。

 

さらに入場料収入、物販収入を中心に大きな打撃を受けており、
現段階で3~4億円の赤字がでるのではないかと社長はおっしゃっていました。

 

 

仙田社長は、この苦しい状況だからこそ「広島県」にこだわる行動に出ます。

スポンサー企業に手紙を書き絆を深めたり、
SNSでスポンサー企業情報を発信したり、
練習試合オンライン配信で、普段出さないスポンサー看板を出したり。

苦しいコロナ禍を広島一丸で乗り越えようと行動しました。

 

その行動の理由には、サンフレッチェが広島県で積み重ねてきた歴史があります。

 

サンフレッチェは、全身の東洋工業時代から
地域に愛されて発展してきました。

 

スタートは原爆投下後の焼け野原。

そんな中多くの人の努力で復興し、
東洋工業は日本リーグで前人未踏の4連覇、
日本リーグ最多5度の優勝を成し遂げます。

 

良い時だけではありません。

サンフレッチェ2度のJ2降格。
その時も、多くのサポーターの支えで乗り越え圧倒的な強さでJ1に復帰しました。
そして、2015年には日本一に輝きました。

 

良い時も、苦しい時も広島一丸で乗り越えてきたクラブの歴史がある。

「サッカー王国広島と呼ばれるのは、強いからではなく、深い歴史があるから」

この言葉が印象に残り、
改めてサンフレッチェの歴史を調べ、
その草創期を知る下村さんにお話を伺いたいと思ったのです。

 

2015年1月に元気丸を担当するようになってすぐサッカー取材をするようになり、
目の前の試合を取材することでいっぱいいっぱいでした。
サンフレの過去のステージ優勝や、
J2降格のことは勉強して知識には入れていたものの、
それ以前の歴史は今まで知りませんでした。
今回の取材で、広島サッカーの歴史は戦前にさかのぼり、
信念のようなものは75年経った今に受け継がれていることを知ると何だか胸が熱くなります。

 

こんなにも地域に密着したサッカークラブがあること、
一人の広島県人として誇りに思いました。

 

 

今回の下村さんのインタビューが決まった時、
仙田社長に連絡すると、
大変喜んでくださいました。

 

テレビマンの先輩として、取材のアドバイスまでしてくださいました。
心の広さ、人間としての温かさ、本当にすごい方です。

 

 

そして最後に一言、
「キンチョーの夏ですが、がんばってくださいね!」

 

時折見せるダジャレ好きな仙田社長のおちゃめな一面もまた魅力的です。

 

もっとキニナル#2

きょうも「キニナル」をご覧いただき有難うございました!

 

きょうの主人公は、サッカー元日本代表の下村幸男さん。

1956年のメルボルンオリンピックの代表に選ばれ、
現役引退後は東洋工業の監督として
チームを日本リーグ4連覇に導き
黄金時代を築きました。

 

 

88歳になった今も、母校修道中学・高校サッカー部の練習に月に数回足を運びます。
30年ほど前から続行けています。

 

情熱を注ぐサッカーとの出会いは
75年前の8月6日の出来事と大きな関係がありました。

 

13歳の時に爆心地から1キロの場所で被爆した下村さん。
木陰にいたため難を逃れましたが、
同級生の大半を亡くしました。

今でもその同級生への申し訳なさから
被爆体験はほとんど語りません。

 

そして、戦後下村さんは苦しみます。

軍国主義教育を信じ、卒業後は軍人になると思っていたため
敗戦後は目標がなくなり無気力な日々を過ごすことに。
今でもその日々は思い出したくないとおっしゃっていました。

 

そんな中、出会ったのがサッカーでした。

戦前から修道はサッカーが盛んで
広島一中、広島高等師範附属とともに
サッカーの名門として全国にその名を轟かせていました。

 

「打倒一中!」とサッカーに情熱を燃やす先輩たちの姿を見て
「自分も伝統を引き継いで何か残したい」と思うようになったそうです。

戦後の生活の苦しさから、
高校卒業後は大学進学せず就職すると決めていたため
「最後の青春の思い出を」と
目標喪失でやり場のなくなったエネルギーをすべてサッカーに注ぎます。

 

戦後のグラウンドはまだがれきが残る中、
しかもガタガタの土のグラウンド。

厳しい環境の中でしたが、何かに情熱を燃やしたかった。
時にはライバル校の練習を偵察に行って
練習方法を盗むことも…。
修道のグラウンドで貪欲に練習したこと、これが下村さんのサッカー人生のスタートでした。

 

「全国優勝」や「代表入り」など高みを目指してスタートしたわけではありません。

しかし、サッカーを続ける中で目標を見つけ続け、
前を向いて生きることに繋がりました。

 

放送後、お礼のためお電話したのですが、
「あすも朝から修道の練習を見に行くよ!」
と元気な声でおっしゃっていました。

サッカーが生きがい、生涯サッカー。

 

その喜びを今度は後輩たちに。

グラウンドに足を運び続け
若い世代にサッカーを通して
それができる喜びを伝え続ける。

 

「サッカー王国広島」の礎を築いた方にインタビューし、
私が日々取材する高校サッカーやサンフレッチェがあるのは
下村さんをはじめとする先輩方が
戦後色んな思いを持ちながら情熱を燃やしてくれたおかげなのだと思い、

サッカーを見られる日々のありがたさを改めて感じました。

 

サッカーを取材する立場として
貴重な財産になったインタビューでした。