ドタバタかいご備忘録(60)母の介護から学んだこと

私は、母の病気を通して、たくさんのことを学びました。

介護保険制度のこと、介護施設の種類、認知症の様々な症状、精神科病棟の日常、

褥瘡(床ずれ)の怖さ、介護はきれいごとではないということ、

そして、延命治療の選択の難しさまで…。

母は、病気で苦しむことと引き換えに、最後の最後まで、

身をもって私に教えてくれたのです。

 

さらに、もう一つ。

母の通っていた病院には、病気の子ども達も多く訪れていました。

その姿を目にするうち、もし自分が押す車いすに、母ではなくわが子が乗っていたら

もっと辛いはず…、そう感じるようになりました。

それは、母の介護に悩み、自分が一番不幸であるかのように落ち込んでいた私にとって

大きな気づきでした。

世の中には、もっともっと苦しんでいる人がいて、どんなに幸せそうな家族でも、

それぞれに悩みを抱えているのでしょう。

母はもしかしたら、私や子ども達の代わりに、

我が家の試練を引き受けてくれていたのかもしれません。

 

自宅介護と施設介護、合わせて12年の“ドタバタかいご”は、無知で世間知らずだった私に、

こんなにもたくさんのことを気づかせてくれました。

 

お母さん、ありがとう。

あなたの娘でよかったです!

 

 

ドタバタかいご備忘録(59)陰りのない気持ち

母が亡くなって一番つらかったのは姉だったのではないかと、私は思っています。

母がパーキンソン病になった時、私と姉は、二人で協力して介護をしていこうと話しました。

母には姉のいる横浜と私のいる広島を行ったり来たりしてもらって、

介護を分担するつもりでした。

姉は母をいつでも横浜に呼べるように、部屋が一つ多い家に住み替えもしていましたが、

母は広島で人間関係を築き、広島に住み続けることを選びました。

結果的に、姉は、何もしてあげられなかったと落ち込み、

私に対しても任せっきりになってしまったと、後ろめたさを感じているようでした。

 

私は、姉に自分を責めないでほしいと願っています。

母を広島に呼んで12年。

たくさん悩んで、たくさん奔走しましたが、私にはそれができる環境がありました。

受け入れてくださる介護施設があり、病院があり、母の友人の協力があり、

夫や上司の理解もありました。

私が母のことだけで手一杯の時は、義父母が子供をみてくれました。

周囲に支えられ、母との時間を過ごすことができた私は、とても恵まれていたのです。

 

20年前、父が他界した時、私は何もしてあげられなかった後悔を、何年も引きずりました。

一方で、母が亡くなった後は、不思議なくらい陰りのない気持ちでした。

私なりに必死に向き合ってきたからでしょうか。

もっと優しくしてあげればよかったという反省はあるけれど、

母に対して私がしてきたことは、その時その時の精一杯だったと思っています。

 

不定期連載 ヒロシマ日記<27>「被爆ポンプ」をご存知ですか?

昨日は、74回目のヒロシマ、原爆の日でした。

被爆者の平均年齢は82歳を超え、記憶の継承は待ったなしの課題です。

 

JR広島駅のすぐ近くに「被爆ポンプ」と呼ばれる手押しポンプがあるのをご存知ですか?

猿猴橋町の道端に静かに存在しているので、気づかずに通り過ぎているかもしれません。

広島に原爆が落とされる前からそこにあったと思われるそのポンプは、

錆びつき、壊れ、もう水は出ませんが、

「被爆ポンプです 残してください」と書かれたブリキの板がかけられています。

メッセージを書いたのは、被爆体験伝承者でもある永原富明さん。

原爆で苦しむ人々、戦後の街の復興など、ポンプが見つめてきた広島の歴史を

忘れてはいけないとの思いからでした。

 

その被爆ポンプが、去年、絵本になりました。

描いたのは、なんと当時9歳の女の子、児玉美空さんです。

お母さんからポンプのことを聞き、親子で調べ、永原さんを訪ねました。

「みんなに、子供たちに、伝えてあげてね。」と声をかけられ、

「私がしなきゃ。」と、子供でも読める絵本作りを思いついたそうです。

 

先日、私は、美空ちゃんに会い、直接、絵本を読んで聞かせてもらいました。

ポンプ自身があの日のことを語り、平和な世の中を願う物語。

ポンプに心があるようで、かわいらしい絵と相まって、あたたかい気持ちになります。

被爆ポンプのことを「ポンプさん」と呼んでいた、純粋な美空ちゃんらしい絵本です。

 

私は、絵本を描き上げた美空ちゃんの感性はもちろん、

それをサポートしたお母さんの行動もまた、すばらしいと思いました。

「広島で生まれ育ち、いつか娘に、原爆の話をしたいと思っていた」というお母さん。

美空ちゃん自身が知りたいと言った機会を逃さず、

永原さんを探し、資料を集め、親子で協力して絵本を完成させました。

私も、わが子に戦争や原爆のことを伝えたいと、

絵本やテレビを見せ、資料館に連れて行くなどしてきましたが、

それでどこか満足してしまっていました。

もう一歩踏み込んで、子供と一緒に調べたり勉強したりすることが大切ですね。

 

絵本を読んだ永原さんは、「嬉しくて嬉しくてたまらない。

バトンが次の世代につながった。」とおっしゃっていました。

永原さんの「伝えたい」は、美空ちゃんの「伝えたい」になりました。

「想い」が受け継がれるのが継承…そう感じた、今年の8月6日です。

ドタバタかいご備忘録(58)最後は福井で…

母の葬儀は、故郷・福井県で執り行いました。

私の都合で、遠い広島に連れて来てしまいましたが、母の心の中には常に福井があって、

認知症になった後は、「福井に帰る」と言って何度も施設を抜け出しました。

「最後は、福井に帰らせてあげたい」

前々から、心のどこかで、そう決めていました。

まさかこんなに早くその日が来るとは思いませんでしたが…。

 

葬儀の手配は姉がしてくれました。

横浜に住む姉と連絡がついたのは、私が人工呼吸器をつけない決断をした後でした。

姉は突然の知らせにショックを受け、電話に出られなかったことをひどく悔やみましたが、

私が決めたことを全て受け入れてくれました。

 

遺体は専門業者にお願いし、広島から福井まで車で搬送していただきました。

仕事とはいえ、長距離を無事に運んでくださったスタッフの方に、深く感謝しました。

 

母は、愛する故郷で、大好きなきょうだい達や親戚、家族に見守られながら旅立ちました。

7歳にして…!?

夏休みですね~。

皆さんのお宅のお子さんたちは、どんな風に過ごしていますか?

我が家の子供たちは、三者三様。

中学3年生の長女は、中学生最後の吹奏楽コンクールを控え、毎日部活動へ。

さらに、夜は受験対策の夏期講習と、忙しい夏を送っています。

6年生の長男は、少年野球漬けの土日の反動か、毎日テレビゲーム三昧。

ラジオ体操のおかげで、早起きだけはできていて、

みんなの前に立って体操をしたり、カードにスタンプを押したりと

最高学年ならではの仕事をがんばっています。

 

一番元気なのは、2年生の次男。

ラジオ体操はもちろん、毎日学校のプールに、一人ででも出かけて行きます。

宿題のテキストも最初の二日で仕上げて、お手伝いにも前向き。

昨日は、食器洗浄機の洗剤が切れて、初めて一人で近所のコンビニにおつかいを頼みました。

コンビニには自宅で使っていた商品が置いていないため、分かるかどうか心配しましたが、

他の洗剤と間違えることなく、しかも、何も言われなくても詰め替え用を買ってきて、

そのパーフェクトな仕事ぶりに驚きました(笑)

張り切り屋で頑張り屋、何事にも積極的な性格は、

夏休みを有意義に過ごすのにはもってこいですが、一方で、先日こんなことが…。

 

次男の腰のあたりに発疹ができて、“あせも”かなと思っていると、

そのブツブツが盛り上がってきて、明らかにおかしい。

なんと、帯状疱疹でした。

えぇ!?大人がなる病気じゃないの?とびっくり!

加齢、疲労、ストレスなど、免疫力が低下した時に発症しやすいそうですが、

7歳にして、疲労やストレスがたまっていたのでしょうか(汗)

体が大きく、聞き分けもいいので、親もついお兄ちゃんお姉ちゃんと同じように接してしまい、

無理をさせていたのかもしれません。

学校の懇談でも、担任の先生から「完璧主義」と言われた次男。

いったいだれに似たのやら。

 

長男と次男の性格を足して2で割ったくらいがちょうどいいのかも(^^;)

マネージャーと呼んでくださいっ!

昨日、ちょっと珍しい撮影がありました。

 

森アナウンサーと、シティホテルの受付風。

「広テレホテルへようこそ!」なんちゃって(笑)

 

金の名札が本格的!

近々、テレビで頻繁に流れますので、お楽しみに~!!!

ドタバタかいご備忘録(57)決断

もし人工呼吸器を装着しなかったら、親戚に親不孝だと責められるのかな。

医師にも、冷酷な娘だと思われるのではないか…

親の命を前にしたこんな時にまで、悲しいかな、人は体裁を気にしてしまうのです。

 

皆さんは「アドバンスケアプランニング」という言葉をご存知でしょうか。

自分で自分のことが決められなくなった時に備えて、どんな医療やケアを受けたいかなど、

自分の考え方、価値観を身の回りの人に伝えておくことです。

母に足の切断や胃ろうの危機が訪れた時もそうでしたが、

私は母が元気なうちに「もしもの時にどうしたいのか」を聞いていなかったために、

重い選択が自分一人にのしかかり、悩み苦しむことになりました。

普段から将来のことや自分の希望を、家族と話し合っておくことが必要なのです。

 

結局、私は、人工呼吸器をつけない判断をしました。

母を病気から解放してあげたかった、

それが一番の理由でした。

 

母の口から酸素マスクが外され、自然に訪れる最期の時を待つ間、

母と二人きりになった時間がありました。

私は、母に抱きついて泣きました。

母は目を開けなかったけれど、

「お母さん、長い間しんどかったね。私たちのために施設でがんばってくれたんよね。

今まで本当にありがとう。」と声をかけました。

20年前、私は父の死に目に会えたものの、父が亡くなることがどこか信じられず

感謝の言葉を伝えることができませんでした。

あのまま会えなくなるなら、ちゃんと「ありがとう」が言いたかった…、

母には必ず伝えよう…と思っていました。

母は聞いてくれていたかな…。

 

2016年8月28日、午前8時55分、

母、馬場かをるは、急性心不全でこの世を去りました。

68歳でした。

 

ドタバタかいご備忘録(56)揺れる心

人工呼吸器は、いわゆる延命治療です。

取り付ければ、ひとまず命はつながりますが、何年も意識が戻らないかもしれません。

 

私は、すぐに、横浜に住む姉に電話をかけました。

しかし、家は留守で、携帯もつながりません。

なぜこんな時に…、お願いだから出て!と祈りながら何度もコールしましたが、

どうしても連絡がつきません。

医師から「人工呼吸器はどうするか決めましたか?」と再び意思確認がありましたが、

「もう少しだけ待ってください。」とお願いして、タイムリミットぎりぎりまで

電話をかけ続けました。

しかし、とうとう姉と話ができないまま、決断の時を迎えました。

 

親戚に意見を求めようか?とも考えましたが、

遠く離れた叔父や叔母に現状を分かってもらうこと自体、難しいと思いました。

もう、自分が決めるしかないんだ!

私は覚悟を決めました。

 

まず考えたのは、母だったらどうしたいか?ということでした。

母はもちろん死にたくはないでしょう。

ただ、たとえ命をとりとめても、これから何十年も動けず、話せず、食事もとれず、

ベッドの上で過ごすことになるかもしれません。

49歳でパーキンソン病を発症した母は、20年近くもの間、思うように動かない体を嘆き、

苦しみ、耐えてきました。

それなのに、もっと動かない体で、これから先何年も頑張れだなんて、とても言えない。

かわいそうすぎる。

母はもう十分、病気と闘ったのではないか。

 

一方で、もし私の判断で母の命が断たれたと親戚が知ったら、どう思われるだろう。

それでも生きていてほしかったと責められるのだろうか。

さらには、家族の判断を尊重すると言ってくださっている医師も、

心の中では非情な娘だと思うのかな、などと考えてしまうのでした。

 

ドタバタかいご備忘録(55)生死を決める選択

2016年8月28日、早朝、グループホームの方から私の携帯に電話がありました。

「落ち着いて聞いてください。

つい先ほど、お母さまが救急車で病院に運ばれました。

朝、スタッフが様子を見に部屋に行くと、寝ている馬場さんの顔色が悪く、息も浅く、

呼びかけても反応がありませんでした。

救急隊員による応急処置で何とか一命はとりとめましたが、かなり危険な状態です。」

その日は、24時間テレビの放送の日で、

私はちょうど仕事に向かおうとしているところでした。

すぐに会社に連絡し、放送は急遽、後輩に代わってもらうことに。

夫とともに病院へ直行すると、

母は、ホームのスタッフに付き添われ、集中治療室のベッドに寝ていました。

口には酸素マスクを当て、心臓の動きなどがモニターで監視されています。

「お母さん!」と呼び掛けても目を閉じたままで、反応はありません。

医師は言いました。

「心臓はかろうじて動いていますが、呼吸が弱く、今は機械で呼吸を助けている状態です。

もってあと2、3時間でしょう。」

 

この頃、ホームへ会いに行くと、リビングのソファに目をつぶって座っていることが多く、

声もほとんど出なくなっていた母。

それでも、目立った体の不調はなく、この急変は全く予想していませんでした。

母は本当に死んでしまうのか…。

どこかまだ信じられないというのが正直な気持ちでした。

しかし、医師は続けます。

「この後、人工呼吸器を装着するかどうか、

できるだけ早くご家族に決めてもらわなければいけません。」

 

それは、いわば、母の生死を決める選択。

それなのに、十分な時間がない…

あまりにも酷な現実でした。

 

意外すぎる答え

来週、15歳の誕生日を迎える我が娘。

「プレゼント、何が欲しい?」と聞くと、意外すぎる答えが返ってきました。

 

「休みが欲しい。」

 

サラリーマンの悲哀か!?(笑)

すぐに「冗談よ~。」と笑っていましたが、

部活に塾に…

中学生は確かに忙しい(^^;)

 

がんばれ、受験生!