中町からエキキタへ

広島テレビ社屋のエキキタ(二葉の里)への移転に伴い、

「テレビ派」は先週金曜日、中区中町のスタジオから

最後のレギュラー放送をお送りしました。

皆さん、ご覧いただけましたか?

   

私が夕方の情報番組、当時の「柏村武昭のテレビ宣言」に

出演するようになったのは、入社1年目の12月。

以来、産休育休でお休みをした期間はありますが、

20年近く中町のスタジオで仕事をさせてもらいました。

一番の思い出は…と考えてみると、なぜか特別なことは出てこず、

苦し紛れに発した言葉に、スタジオにいるスタッフが笑ってくれたことや、

原稿を見失ってあたふたしたことなど、

日常の一コマばかりが蘇ってきます。

それだけ、私にとってはあの場所が日常だったのかもしれません。

 

そんな中町最後の放送はきっと寂しくてたまらないだろうなと

覚悟していましたが、実際は…

社内では、翌日の引っ越しの準備で数日前からバタバタ。

さらに、新社屋での初回の放送はスムーズにできるのか、

おまけに、カープの優勝はいつになるのか…など、

気になることが多すぎて、

正直なところ、感傷に浸っている暇はありませんでした。

気がついたら新社屋での放送がスタートしていた、そんな感じです(汗)

でも、それくらいが、逆に

“センチメンタルジャーニー”にならなくていいのかな(*^_^*)

 

新社屋で新たなスタートをきったテレビ派は、

セットも木目とグリーンが印象的なデザインに変わりました。

コンセプトは「ほっこり」です。

生放送で聞かれたのにちゃんと答えられなかったので、

ここでお伝えしました(^^;)

皆さんの心が和むような放送を続けていきますので、

引き続きよろしくお願いします!

 

 

 

新井選手

先週水曜日、カープの新井貴浩選手が、今シーズン限りでの引退を表明しました。

第一報を聞いた時は、

「えっ!本当に?ついこの前3ランホームランも打って、まだまだ健在と思ったのに…」と、

とにかくびっくり。

その後は猛烈な寂しさが襲ってきました。

 

新井選手は、私より少し若いですが、ほぼ同世代。

お仕事でご一緒したのは数えるほどしかありませんが、

私がアナウンサーとして駆け出しの頃、新井選手もプロ野球選手になりたてで、

勝手に、本当に勝手にですが、同じ境遇にいるように感じていました。

今でこそ、通算2200安打を超え、セリーグMVPにも輝いたすごい選手ですが、

私にとっては首脳陣から「へたくそ~」などと言われながらも、愛され、期待され、

がむしゃらに練習していた姿が、最も印象に残っています。

私も新井選手のようにがんばらなきゃ!と、刺激を受けました。

そして、あの明るいキャラクター。

当時、兄貴と慕っていた金本元選手との漫才のような掛け合いを見るのが楽しく、

先輩とそんな関係が築ける人柄を羨ましくも思いました。

 

ベテランになった新井選手もまた、私にとってはお手本でした。

若い選手と変わらない練習量で、グラウンド上でもベンチでも、常に全力。

出場回数は減っても、「やっぱり新井さんはすごいな~」と感じさせてくれる勝負強さ。

圧倒的な存在感。

さらに、後輩から慕われ、頼られ、時にいじられる…(*^_^*)

新井選手の姿に、理想のベテラン像を重ねていたのは、私だけではないでしょう。

 

カープ、後輩、そしてファンへの愛情がにじみ出た引退表明会見は

ウェブサイト「広テレ!みんさいと。」で、9月18日までノーカットで配信中です。

是非ご覧ください!

 

新井選手の現役生活に最高のフィナーレが訪れることを祈ります!

34年ぶりの日本一に向けて、がんばれカープ!!!

 

 

24時間テレビへのご協力、ありがとうございました!

先週末は、24時間テレビでした。

県内各地の募金会場にお越しくださった皆様、

また、ボランティアとして参加してくださった皆様、ご協力ありがとうございました。

 

私は、日曜日の午前に広島テレビ新社屋、

午後はイオンモール広島府中でステージの司会を務めました。

島しょ部から駆けつけて下さった方、カープ観戦の前に立ち寄って下さったご家族など、

皆さんの温かい想いに感激しました。

今年は、お預かりした募金箱の多くに

「西日本豪雨の被災地の復興に役立ててください」というメッセージが書かれていたのが

印象的でした。

24時間テレビでお預かりした募金は、一切の経費を差し引くことなく、全額

「福祉」「環境保護」「災害援助」そして「西日本豪雨災害の復興支援」に

活用させていただきます。

 

24時間テレビは、アナウンサーにとって

視聴者の皆さんと触れ合える貴重な機会でもあります。

私も、「脳トレ頑張ってください!」(汗)とか、

「ドタバタかいご備忘録、読んでます!」などと声をかけていただき、元気をもらいました。

この場を借りてお礼を申し上げます!

イオンモール広島府中のステージで一緒に司会をした西口アナ。

私が新人の頃より、堂々としていました~!

ドタバタかいご備忘録㊵ 一難去ってまた一難

胃ろうの危機を脱した母でしたが、また新たな難題がふりかかりました。

褥瘡(じょくそう)、いわゆる床ずれです。

褥瘡とは、寝たきりなどによって、体重で圧迫されている場所の血流が悪くなったり

滞ったりすることで、

皮膚の一部が赤い色味をおびたり、ただれたり、傷ができたりすることです。

一度できると治りにくく、ひどい場合は皮膚や筋肉が壊死し、

骨が露出するほどの穴が開いてしまいます。

また、その部分が細菌に感染し全身に回ると敗血症になり、死に至るケースもある、

怖い病気です。

母は寝たきりではありませんでしたが、

この頃はほとんどの時間を車いすの上で過ごしていました。

そのため、車いすの足置きに接する左のかかとに褥瘡ができ、悪化。

介護士の皆さんが、毎日洗浄したり薬を塗ったりしてくれましたが、何か月も治らず、

しまいには深い穴のようになってしまいました。

総合病院を勧められ、皮膚科を受診すると、

傷が骨の近くまで達し、かなり深刻な状態であることが発覚。

そのまま、整形外科に回されました。

そして、医師から思いもよらない言葉を投げかけられました。

 

「整形外科に来たということは、足を切断した方がいいということです。」

 

切断!?

 

驚きと恐怖で、私はしばらく声が出ませんでした。

 

けん玉、さいKoo!!!

FIFAワールドカップロシア大会がフランスの優勝で幕を閉じた1週間後の

先月21日、広島県でも、ある競技のワールドカップが開催されました!

けん玉ワールドカップ廿日市2018です。

 

会場となった、けん玉発祥の地、廿日市市のスポーツセンターには、

18か国・地域から400人を超える選手が参加。

世界トップレベルの戦いが繰り広げられました。

去年は初めて日本人選手が優勝。

5回目の節目の大会となる今年も、再び日本勢が世界一の称号を手にできるのか、

注目されました。

さらに、優勝候補と称されながら去年悔しい結果となった地元選手のリベンジや、

成長著しい女性選手達の活躍など、見どころの多い大会となりました。

 

実は今大会では、ちょっと意外な方が大会オフィシャルサポーターとして参加しました。

DJ Kooさんです!

以前、光って音の出るけん玉をプロデュースしたこともあるそうで、

玉が皿やけん先に収まる度に、

「イエス!」や「オッケー!」というKooさんの声が聞こえるんだとか。

欲しい~!!!

「世界一うるさいけん玉」と、自分でおっしゃっていました(笑)

そんなDJ Kooさんが出演する、けん玉ワールドカップ廿日市2018の総集編ともいえる番組

「広島に世界の強豪が集結! 日本旋風 けん玉ワールドカップ2018」が、

8月18日(土)午後4時25分から放送されます

選手たちの神がかった妙技はもちろん、

「うま~い!」「ミラクル!!!」と興奮しっぱなしのKooさんにもご期待ください!!!

 

(同じく18日の午後3時55分からは、

こちらも廿日市市の宮島で、先月1日に開催された

「みやじま国際パワートライアスロン大会2018」の模様を収めた

「世界遺産発トライアスロン!それぞれのゴールへ」も放送されますよ。

合わせてお楽しみください!)

 

 

西日本豪雨災害から1か月

今週、豪雨災害の被災地、広島市安芸区矢野地区を再び取材しました。

ここは、被災直後の7月9日に訪れた場所で、あの時と比べてどう変わったのか、

あるいはどう変わっていないのかを取材するためです。

 

1か月前、泥が堆積し、川のように水が流れていた道路は、車が行き交う元の姿に。

埋もれていたガードレールも、全体が見えるようになっていて、

実は私の腰ぐらいの高さまで土砂がたまっていたことに気づかされました。

他にも、ここにこんな高い塀があったのか!とか、元々はこんな川だったのか!など、

土砂や水が引いた今だからこそ本来の姿が分かり、改めて被害の大きさを感じました。

 

被災された方々にも再会しました。

自宅に住めなくなって市営住宅に入られた方、今も避難所での生活を続ける方など、

1か月では元の暮らしを取り戻せていないというのが現状でした。

それでも、被災からの日々を、

「大変だった」「つらかった」という言葉以上に、

「ボランティアが来てくれた」「重機が入ってくれた」など、

多くの感謝の言葉で振り返られたのが印象的でした。

 

被災地を歩くと、同じ町の中に、被災した地域と無事だった地域が混在していること、

被災の程度も家によって差があることを実感します。

「うちはたいしたことがなかったから、被害の大きい所は気の毒で歩けない」

とおっしゃった方もいました。

道が一本違うだけで、景色が変わる残酷…。

しかし、今も自宅に住めない方がこうおっしゃっていました。

「最初は自分を悲劇のヒロインのように思っていたけど、

テレビでたくさんの被災者を目にし、うちだけじゃないと知ってがんばれた。」

被災地の現状を伝える意義を感じさせていただいた言葉でした。

 

被災された皆さんに、一日も早く日常が戻ることを祈ります。

不定期連載 ヒロシマ日記<25> 73回目の原爆の日

今週月曜日、8月6日、広島は73回目の原爆の日でした。

平和祈念式典が営まれた平和公園は、今年も、ひしめく蝉の声と、ほのかな線香の香り、

原爆死没者慰霊碑の献花を待つ行列に、原爆供養塔に手を合わせる高齢の女性、

式典を前にした原爆ドーム周辺の物々しさなど、

「8月6日の朝」を実感する光景がありました。

 

今年、被爆者の平均年齢は82歳を超えました。

記憶の継承が課題になる中、

実は私も、我が子達に十分に伝えられていないと悩む親の一人です。

そんな中、今年私は、原爆の日を前に、中学2年生の娘と平和公園に行きました。

娘がその日たまたま、近くで用事があったので、

「せっかくだから、お母さんと平和学習しない?

お母さんも、原爆の日の放送を前に勉強したいし。」と誘ってみました。

そういう気分じゃない、と嫌がるかな?と思いましたが、「うん、いいよ!」とあっさりOK。

母娘水入らずで、平和資料館を見学し、被爆体験伝承者の講話を聴き、

ビデオシアターで「ヒロシマ 被爆者からの伝言」を観ました。

 

資料館の展示を一緒に見ていると、娘からいろんな質問を受けました。

「アメリカのネバダ核実験場近くに住んでいた人は大丈夫だったのか?」

「ノーベル平和賞を受賞したICANは、何をしたのか?」など。

対する私は、漠然とした答え方しかできなくて、もっと勉強が必要だなと反省しました。

 

帰り道、お互いに、一番心に残ったことについて話しました。

娘は、原爆孤児になったきょうだいの絵が忘れられないと言いました。

がれきの中で、不安そうな目をして立っていたきょうだいに、自分を重ねたようです。

私は、伝承者の方が講話の最後におっしゃった、「私は中継ぎです」という言葉。

被爆者から被爆体験談や平和への思いを受け継いだ、伝承者ならではの重みを感じました。

そして、私も子供達へヒロシマをつなぐ「中継ぎ」にならなければと思いました。

 

今日は、8月9日。

もう一つの被爆地、長崎原爆の日です。

原子爆弾の犠牲となられた方々に、心からご冥福をお祈りいたします。

 

(原爆の日を2日後に控えた広島平和記念公園の様子)

 

 

 

 

iPS治験

今週、私にとって特別なニュースがありました。

パーキンソン病患者にiPS細胞移植の治験が始まったというニュースです。

この時をどれほど待っていたことか…。

 

一昨年他界した母は、約20年間、パーキンソン病で苦しみ続けました。

子育てが一段落し、ようやく自分のための時間を!という矢先、49歳での発症でした。

元気な同世代は、旅行に行ったり、孫と触れ合ったりしているのに、

母の第二の人生は、病気との長い闘いに占領されました。

iPS細胞でパーキンソン病が治る時代がくるかもしれないという話を耳にしたのは、

10年ほど前の事。

以来、私は母に、「病気が治るまでもう少しの辛抱。それまでがんばろう!」と

言い続けてきました。

いつか病気が治り、今度こそ、明るい第三の人生が待っているはず…!

 

その願いは叶いませんでしたが、

今回のニュースで、生きる希望を与えられた方がたくさんいらっしゃると思うと、

胸が熱くなります。

治験の成功と、一日も早い治療への実用化を願います!

 

心の支援

先週、西日本豪雨の被災地である広島市安佐北区白木町と、

竹原市東野町を取材しました。

安佐北区白木町は、犠牲者はいませんでしたが、

川の氾濫でJR芸備線の鉄橋が流されていたり、

県道の片側が崩れ通行止めになっていたりと、災害の爪痕がいたるところに見られました。

床上浸水した家では、水につかった家具などを庭に運び出していました。

中には、亡くなったお母さんの嫁入り道具だった箪笥も。

乾かしても泥の匂いが取れないため、廃棄するしかないそうです。

大切な思い出までも奪う災害の非情さを感じました。

 

竹原市東野町は、土砂崩れでお1人の方が亡くなっています。

豪雨から10日以上経っても、麓の一帯は、大木と岩と土砂で埋め尽くされていました。

「東野の状況を知ってほしい」とテレビ派に情報を下さった方に

お会いすることができました。

私達取材クルーを目にした瞬間、感極まっていらっしゃったのが印象的でした。

土砂の撤去を手伝えるわけでもなく、ただ取材することしかできない自分に

無力さと申し訳なさを感じていましたが、

被災された方にとって、現状を広く知ってもらうこと自体が力になるのかもしれないと

気付きました。

被災地に目を向け続け、被災者に思いを馳せ続けることも、心の支援になりそうです。

西日本豪雨災害

この度の西日本豪雨で被害に遭われた皆様に、謹んでお見舞い申し上げます。

 

私は昨日、被災地の一つである広島市安芸区の矢野地区を取材しました。

被災された方にカメラを向けてお話を伺うのは心苦しく思いましたが、

大変な状況の中、たくさんの方が応じて下さいました。

気丈に話しながら、ふとした瞬間に涙ぐまれる方も。

歯を食いしばってこの状況を乗り越えようとしていることが感じられました。

そして、「是非テレビで伝えてほしい」と言われたのが、

様々な支援に対する感謝の思いでした。

「避難所に着いてすぐ、地元企業や商店街の皆さんから送られてきた食事が、

どれほどありがたかったか…」

「世間の温かさを知った」

「物流網が寸断し各地で品薄になっている中、私たちは物資をいただき申し訳ない」

ともおっしゃっていました。

 

一方で、被災地の中には、未だ断水や停電が続き、道路も寸断され、

孤立状態のところが多くあります。

「テレビ派」にも、救いを求める被災者の方々から、

たくさんのメール・ファックスが届いています。

「物資や水が届かなくとも、報道の目は向けてほしい」という切実な思い。

私達に何ができるのか、考える日々です。

 

「24時間テレビ」では、この大雨被害の緊急募金をインターネットで受け付けています。

詳しくは、広島テレビのホームページでご確認ください。

皆様のご協力をお願いいたします。