宇宙でいちばんあかるい屋根

私が取材を受けた「週刊ポスト」が、先日、発売になりました。

皆さん、ご覧いただけましたか?

広島のカープファン、そしてジャイアンツファンの皆様、20年以上前のことと、

笑ってお許しくださいませ。

記事を読んでいただければ、この意味が分かります(^^)

 

さて、話題は変わり…

現在公開中の映画「宇宙でいちばんあかるい屋根」を観ました。

清原果耶さん演じる14歳の少女が、桃井かおりさん演じる不思議な老婆と出会い、

家族や恋の悩みを乗り越え成長していく、青春ファンタジーです。

 

いや~、ここ最近観た映画で一番泣きました。

マスクがびちょびちょになるくらい。

私の涙腺を刺激したのは、清原さんの演技です。

思春期のピュアな感情と、繊細に揺れ動く心を、見事に表現。

特に、こらえきれず涙するシーンは、その表情やしぐさに複雑な心情が表れていました。

以前、ある番組で清原さんのナレーションを聞いたことがあり、

若いのに、表現力があって、すごく上手だな~と印象に残りました。

やっぱり、いい女優さんですね。

 

上映後には、メガホンをとった藤井道人監督と、美術を担当した広島出身、部谷京子さんの

トークショーがありました。

去年、映画「新聞記者」で日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞し注目を浴びた藤井監督。

まだ自主映画監督だった9年前に広島ダマー映画祭で受賞し、

その時の海外の監督たちとの出会いに大きな影響を受けたことから、

広島は思い入れのある土地なんだとか。

嬉しいですよね。

しかも、私と同じ、日本大学芸術学部の出身!

勝手に、親近感が湧いてしまいました。

 

「一冊の絵本を一枚ずつめくるような映画になれば…」との思いでセットを手掛けたという

部谷さん。

その言葉通り、独特の世界観にあっという間に引き込まれ、

最後の1ページまで夢中で読んでいた…そんな作品でした。

オススメです!

 

『週刊ポスト』に出ます!!!

今週の金曜日(9月18日)発売の、『週刊ポスト』に、私に関する記事が掲載されます!

あっ、スキャンダルではありません( *´艸`)

地方の女性アナウンサーの活躍を研究する企画だそうです。

 

先日、オンラインで取材を受け、

現在の出演番組「テレビ派」について熱く(?)語ったはずなのですが、

なぜか新人時代のエピソードが中心の内容になりました。

 

私が夕方の時間帯に出演するきっかけになった番組

「柏村武昭のテレビ宣言」時代の話などもあります。

これが分かる方、昭和生まれと推測します(笑)

私以外にも全国の女性アナが紹介されますので、どうぞご覧ください。

 

こちらはその“テレビ宣言”での1枚。

若っ!!!

 

いい性格してます

利き手の右手を怪我し、ギブス生活になった長男は、先月中旬からリハビリを開始。

週に3日、学校から帰った後、一人で電車に乗り、リハビリの病院に通っています。

 

リハビリ初日は、私も息子に付き添いました。

手術から3週間、ギブスで固定されていた右手でしたが、理学療法士の先生に

「すごい!親指以外の指がよく動くね~!」

と驚かれました。

どうやら、動かしにくい中でも、大好きなゲームだけはめげずにやり続けていたのが、

リハビリ代わりになっていたようです。

ゲームのやりすぎも、時にはいいことがあるねと大笑いしました。

 

それにしても、リハビリって地道なんですね~。

息子の場合、断裂した親指の腱が安定するまで、親指を内側に曲げる動きができず、

先週までは親指を外側へ開く動きと、親指以外の指を動かす練習だけをひたすら行いました。

プロ野球選手のリハビリのニュースをよく耳にしますが、

こういったわずかな動きを一つ一つ繰り返すところから、復帰を目指すんですね。

その道のりは、どれほど不安で苦しいものだろうと想像しました。

そして、患者に寄り添う理学療法士の存在の大きさも実感。

息子の担当者は若い男性の方で、毎回ゲームやアニメの話をしてくれるらしく、

大変なはずのリハビリも、楽しそうに通っています。

 

それにしても、この度の大けがで一つ分かったことがあります。

それは、親バカですが、長男が結構いい性格をしているってこと。

利き手が使えず不便なはずなのに、この1か月余り、

愚痴や弱音をほとんど聞いたことがありません。

以前と変わらず明るくて、

ギブスも「つけていると周りのみんなが気遣ってくれる」と話していました。

当たり前のように左手で箸を持ち、いつの間にかキレイな字も書けるように!

「両利きになった」と、なんとも前向きです。

その器用さと、順応性の高さには驚かされました。

 

唯一、野球部の練習ができないのが残念そうですが、

病院で自ら「野球のボールをいつから投げられますか?」と医師に質問。

我慢の時間が、彼の野球熱を高めたような気もします。

完治後の上達に期待です!

大根役者と呼ばないで

先日、とあるコマーシャルの撮影がありました。

先輩アナウンサーである私と後輩達との、オフィスでの一コマという設定。

 

こちら、4年目、澤村アナ(右端に座る後ろ姿が澤村アナです)とのバージョンを撮影中。

 

新人、木村アナとのバージョンは、広テレのメイク室にて。

 

普段の仕事とはちょっと毛色が違い、私たちの演技力(笑)が試されました。

3人の中では、澤村アナが一番スムーズで、撮り直しが少なかったような…。

木村アナは、大きい目を瞬きしないようにするのが大変そうでした。

私は、“華麗なターン”に手こずりました。

…って、どんなコマーシャルやねん?と気になったあなた、

今月末から広島テレビで流れる予定ですので、お見逃しなく!!!

 

“怪我の功名”なるか…!?

この夏、長男が大けがをしました。

おばあちゃんの家に、兄弟で我先にと競って入ろうとした時のことです。

一歩先に入った次男が急いで扉を閉めようとし、

そうはさせまいと手を出した長男が、扉に右手を強打。

ガラスが割れ、手首の内側を深く切ってしまいました。

玄関は血まみれ。

長女が泣きながら電話をかけてくるほどの流血でした。

救急車で病院に運ばれ、血を止める処置をしたものの、

専門医に診てもらったほうがいいということで整形外科へ。

ちょうど仕事を終えた私と夫は、会社から病院へ直行し、

処置室で横になっていた長男と対面しました。

「大丈夫だから心配しないで」とでも言うように、笑顔で手を振る長男。

安心させようとする仕草が健気で、思わず涙が出ました。

医師が傷口を触ると表情が歪み、「痛い」と口にしていましたが、

泣かずに必死に耐えている姿に、さすが中学生だなと成長を感じました。

動脈を痛めていることが分かり、すぐに手術ができる病院に再び移動。

細い動脈と、親指を支える腱が切れていましたが、神経などは傷ついておらず、

午前3時に無事に手術を終えました。

こういう時って、親は子供を見守ることしかできないんですね。

深夜にも関わらず手術をしてくださった医師と看護師、そして、

最も早く適切な処置ができる病院に導いてくださった救急病院の先生方、

ケガをした直後に駆けつけ、最後の病院に到着するまでずっと付添ってくださった

救急隊員の皆さんなど、たくさんの方々にお世話になりました。

人間はいろんな人に支えられて生きているんだなと、しみじみ思いました。

 

長男曰く、ケガをした時は大量の血を見て

「痛いよりも、死んでしまうのではないかと怖かった」そうです。

これに懲りて、兄弟の争いが減ってくれればいいのですが…。

子育てはいろんなことがありますね(汗)

24時間テレビ、始まります!

24時間テレビが、いよいよ今日から始まります!

こちら、今年のチャリTシャツ。

エネルギッシュな狛犬が、元気をくれますね。

なぜ、このTシャツが未開封かといいますと…

実は私、今年は、アナウンサーになって初めて、

テレビでチャリTシャツを着ることがありません。

キャッシュレス募金をして、テレビの前からしっかり応援したいと思います!

 

思い起こせば、23年前の24時間テレビ、アナウンサー1年目だった私は

竹原バンブージョイハイランドのステージに立っていました。

プロ野球の話題になり、私が東京で過ごした学生時代、

周りがほとんど巨人ファンで、一緒に応援していたと話すと、

客席が静まりました。

あのアウェイ感…忘れもしません(汗)

また、「穏やかな瀬戸内海が好きで、よく見に行きます」と発言しておきながら、

「例えばどこに?」との問いに、「浜田」と答え、

「それ日本海じゃん!」と突っ込まれました。

いや~、ハチャメチャな新人でした。

今だから笑って話せますが、実は何十年も思い出したくない失敗談でした。

 

今年の広テレ新人アナは大丈夫です!

しっかり者の福山市出身、木村和美アナ。

今回の24時間テレビでは、募金会場のリポートを担当し、

カープ佐々岡監督のインタビューも務めています。

ご注目ください!

今年は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、

キャッシュレス募金を中心に、皆さんの善意をお預かりしています。

例年の募金会場も変更になっていますので、

広テレのホームページなどをご確認ください。

ご協力をよろしく願いいたします。

 

では、私は月曜日の「テレビ派」でお目にかかります(*^_^*)

不定期連載 ヒロシマ日記<36>被爆75年の夏

一昨日8月9日は、長崎原爆の日でした。

原爆投下時刻の午前11時2分、私が住んでいる廿日市市でもサイレンが鳴り、

子供たちと手を合わせました。

田上長崎市長は、平和宣言の最後を「長崎は、広島、沖縄、そして戦争で

多くの命を失った体験を持つまちや平和を求めるすべての人々と連帯して、

核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることを、ここに宣言します。」

と締めくくりました。

6月の沖縄慰霊の日の平和宣言に、「ヒロシマ・ナガサキと平和を願う心を共有する」

という文言があっただけに、一昨日の宣言に「沖縄」が含まれていたことが

個人的には嬉しく思いました。

また、今年の広島の平和宣言の中に6度も登場した「連帯」という言葉が

長崎でも使われ、まさに連帯感を感じることができたのも印象深かったです。

 

被爆75年となった今年の8月6日、私は、ジャーナリストの池上彰さんと、

広島・原爆の日の特別番組を放送しました。

今年は被爆者の高齢化に、新型コロナウイルスという新たな問題が加わり、

被爆体験を聞く機会が当たり前ではなく、いかに貴重か、

改めて気づかされることになりました。

そんな中、あの日の記憶を懸命に受け継ごうとする高校生に語った

池上さんの言葉…

「この75年、被爆者が広島・長崎の惨状を伝え続けてきたことで、

世界の人々は、原子爆弾が単なる大きな爆弾ではないことを知り、

核兵器は“使えない”兵器になった。

記憶が薄れると、“使ってみようか”という誘惑に駆られる人が出てくる

危険性がある。

だからこそ、あの日何が起きたのかをずっと言っていかなければならない」

 

今後、核兵器が“使えない”兵器のままであり続け、

さらに“この世からいらない”兵器になるかどうかは、

今を生きる私たちにかかっているんだなと強く感じました。

次世代に平和のバトンをつなぐ一人として、身の引き締まる8月です。

(池上さんにはテレビ派にもご出演いただきました)

 

不定期連載 ヒロシマ日記<35>旧広島陸軍被服支廠とレストハウス

広島で今年、注目を浴びている被爆建物があります。

爆心地から約2.7㎞、広島市南区にある旧広島陸軍被服支廠。

かつて軍都として栄えた広島で、軍服や靴などを製造・管理した軍需工場です。

原爆投下後には臨時の救護所としても使われ、多くの人々がここで命を落としました。

現存する4棟の赤レンガ倉庫は、原爆の爆風で変形した窓の鉄扉がそのまま残っています。

広島県は去年、県が所有する3棟について、震度6強の地震で倒壊する恐れがあるとして、

1棟を外観保存、2棟を解体・撤去する案を示し、県民の意見を公募。

結果は、反対が62.2%、賛成が31.9%となり、今年度の事業着手は見送られました。

 

もの言わぬヒロシマの証人として残してほしい、

戦争の加害の歴史を伝えるという意味で、他の被爆建物とは違った価値がある、

鉄筋コンクリート建築としても日本最古級…などの意見がある一方、

3棟保存の場合、利活用費を含めると100億円規模となり、

財源の確保をどうするのかが大きな課題です。

 

私は、保存と活用はセットだと思っています。

多額の費用をかけて残しても、そこで何があったのかが見る人に伝わらなければ

もったいない!

どうすれば、たくさんの人に足を運んでもらえるのか。

そして、あの建物から戦前戦後の広島の歴史を振り返り、

全ての戦争の犠牲者に思いを馳せてもらうにはどうしたらいいのか…。

それを考えることが、おのずと、この市内最大級の被爆建物を守ることにつながると

期待しています。

 

先日、リニューアルオープンした、平和記念公園内のレストハウスに行ってきました。

被爆建物であることは知っていましたが、これまで、何気なく通り過ぎてしまっていました。

大正屋呉服店として建設、後に「燃料会館」となり、被爆当日37人が勤務していましたが、

たまたま地下に資料を取りに降りていた1人を除き、原爆の犠牲になりました。

新しく作られた展示室では、平和公園の地下に眠る被爆前の街、中島地区の移り変わりや、

レストハウスの歴史を深く知ることができ、

生存者の手記や被爆当時の様子を描いた絵も見ることができます。

平和公園内で被爆前の面影を残す唯一の建物の存在意義に改めて触れ、

見る目が変わりました。

もの言わぬ証人だからこそ、見る人の想像力に訴える記憶の継承が必要と感じました。

旧広島陸軍被服支廠にも通ずるかもしれません。

不定期連載 ヒロシマ日記<34>映画「おかあさんの被爆ピアノ」

映画「おかあさんの被爆ピアノ」を観ました。

広島で原爆に遭いながらも奇跡的に焼け残ったピアノ、“被爆ピアノ”を修理し、

自らトラックを運転して、全国で平和コンサートを続ける調律師・矢川光則さん。

その矢川さんとの出会いをきっかけに、一人の女子学生が祖母のピアノの記憶と向き合い、

自らのルーツを辿る物語です。

 

映画の中で、被爆ピアノは、多くの人と交わり、様々な音を生みます。

誰が触れても、何を弾いても構わない。

どんな想いも受け止めるような、懐の深い存在です。

でも、それがどういうピアノで、その持ち主がどんな方だったのかは知ってほしい…

矢川さんや、脚本も手掛けた五藤監督の、強い思いが感じられました。

 

また、個人的に印象に残ったのは、矢川さん役の佐野史郎さんが発した

「やっていれば分かってくる」というセリフ。

この不定期の“ヒロシマ日記”もやり続けよう!と、勇気をもらいました。

 

被爆ピアノのこと、原爆のこと、被爆者や遺族の想いなどを伝えながらも、

観終わった後は優しい気持ちを運んでくれる映画です。

 

私は、小学生の頃少しだけピアノを習っていましたが、今はほとんど弾けません。

でも、歳のせいか、昔よりピアノの音色が好きになり、

たま~にクラシックが聴きたくなる自分に成長を感じます(笑)

今は無性に、ベートーベンの「悲愴」が聴きたい気分。

映画をご覧になった方、分かっていただけますよね…。

現在、広島市と呉市で先行上映中です。

 

歳のせい?違う、そうじゃない!

2週間ほど前、朝起きると目が腫れていることが多くなりました。

両目の二重のラインが、本来の二重まぶたの上にできてしまいます。

寝すぎたのかな?とか、少し太ったせい?と考え、様子を見ましたが、一向に治らない。

インターネットであれこれ検索すると、加齢とともにまぶたが痩せ、

奥二重がくっきり二重になることがあるらしい。

これだ!ついに来たか。まぶたの老化…。

 

最初は、若い子が使う、二重のクセづけメイク用品で、元の二重ラインに戻していたものの、

繰り返すとまぶたがかぶれる。

さらに、この二重のクセづけを一生し続けるの?無理~!と気づき、

もういいや!潔く、この新たな二重を受け入れよう!

二重の幅が広くなって、目も大きくなっていいじゃん!と前向きに考えることにしました。

 

そうして、先週、新生二重まぶたで“テレビ派”に出演すると、

友達二人からラインメッセージが。

「目、腫れてない?」

「目元、大丈夫?」

一人ならまだしも、二人から同時に心配されるとは、これってやっぱりおかしい?

メイクさんにも、

「加齢で目がくぼむことはあるけど、腫れるのはどうだろう。一度病院で見てもらったら?」

と勧められました。

 

すると、この土曜日。

朝、目覚めると、両まぶたが大変なことに!

元の二重ラインも、新たなラインもどちらも消えてしまうくらい腫れあがり、

目の際はアイシャドーを塗ったように真っ赤。

しかも、かゆくてたまんない。

このままでは、テレビ出演はおろか、誰にも会えない~!

 

慌てて皮膚科に駆け込むと、手で目をこするなどしてついた菌による皮膚炎との診断。

まぶたの皮膚は弱いので、ひどく腫れやすいのだそうです。

軟膏と飲み薬を処方してもらうと、二日で腫れが引き、事なきを得ました。

 

おかげさまで、本来の二重ラインもカムバック!

なんでも歳のせいと思わないほうがいいですよ~!という話でした。笑

(治りました!)