月別アーカイブ: 2017年3月

明日は、マツダスタジアムからお目にかかります!

2017年のプロ野球開幕が、いよいよ明日に迫りました!

カープの試合を見て一喜一憂する日々がまた始まりますね~。

1週間前の私はワクワク感が強かったですが、だんだんドキドキ感が勝ってきました。

「ドッキドッキさせてよ…♪」って、1週間前のブログと同じですね(^_^;)

レパートリーが少ないもので…。

 

それはさておき、いてもたってもいられない私達テレビ派チームは、明日、

スタジオを飛び出して、マツダスタジアムから番組を放送します!

その名も、「テレビ派 開幕スペシャル」。うん、分かりやすい(^^)

マツダスタジアムの熱気や、プレーボール直前の選手の表情、また、

おなじみの「週末スクープ」と「カープ熱血魂」も、開幕ならではの内容でお送りします。

 

開幕戦の中継も広テレなので、合わせると、5時間を超える生放送です。

そして、なんと、その開幕戦中継、ゲストは黒田博樹さんです。

マツダスタジアムでは初めてのゲスト出演ですよ。楽しみですね~。

さらに、翌日土曜日の中継も広テレです。

33年ぶりの日本一に向けて船出するカープを、広テレで見届けてください!!!

明日の開幕セレモニーで流れる映像の一部。

今年も、森アナウンサーと私が、セレモニーの司会をします。大役、がんばります!

 

 

ドタバタかいご備忘録⑦ 介護保険

皆さんは、家族に介護が必要になり、介護保険のサービスを利用したい時

(介護を手伝ってほしい、介護施設を利用したい、介護用品が必要、など)、

どこに相談すればいいか知っていますか?

私は、母の介護に直面するまで知りませんでした。

正解は、市区町村の窓口か地域包括支援センターです。

地域包括支援センターは、あまり聞きなれないかもしれませんが、

高齢者に関するよろず相談ができるところで、一中学校区に一つは設置されています。

ここで介護保険の申請をし、どの程度介護が必要な状態かを判定する「要介護認定」

(要支援1,2、要介護1~5)を受けなければいけません。

介護が必要と認められれば、65歳以上ならだれでも、そして40~64歳で

老化が原因とされる特定の病気の場合も、1割か2割の自己負担でサービスが受けられます。

その後、ケアマネージャーと呼ばれる介護保険の専門家によって、

どんなサービスをどれくらい利用するかを決定し、開始となります。

 

横浜で初めて申請を行った母は、要介護2と認定されました。

介護用のベッドを借りたり、ホームヘルパーが週に数回、決まった時間に姉の家に来て、

移動や着替えなど身の回りのことを手伝ってくれたりしました。

しかし、母の場合、体が動かなくなる時間がまちまちなので、介護が必要な時と

ヘルパーさんが来るタイミングが必ずしも合わないという難しさがありました。

また、最も介護が必要となる夜は家族だけになるので、

フルタイムで働く姉にとって、夜中に何度もトイレへ連れて行く疲労は相当なものでした。

そんな頃、私が一人目を出産し育児休暇に入りました。

自宅にいる時間の長い私の方が、母を介護しやすいのではないか…。

2004年12月、ついに、母を広島に呼び寄せることになったのです。

横浜にいた頃の母(2004年7月)。里帰り出産の代わりに、母のいる横浜で出産した私の退院の日。

母は病気が進み、表情が硬くなり、手も硬直ぎみです。

 

カープ開幕直前スペシャル♪

プロ野球の開幕が近づいてきました!

「ワックワックさせてよ~♪」と中山美穂さんの歌のように(古い?)待ちきれない皆さん。

明日(3月24日)はテレビ派を一時間拡大して、

午後6時55分からは「カープ開幕直前スペシャル」をお送りしますよ~!

 

カープの戦力分析から、知っておきたいライバル球団の状態、

また、黒田博樹さんに聞く今季のカープや、気になる開幕カードの展望など、

これを見たら、篠原涼子さんの歌ではありませんが

「も~っと、も~っと♪」(やっぱり古い?)楽しみになる企画が満載です。

 

ゲストは我が広島テレビ野球解説で、選手の事をよ~くご存じの野村謙二郎さんと、

読売ジャイアンツOBの水野雄仁さん、そして阪神タイガースOBの藪恵壹さん

水野さん、藪さんとは初めてご一緒しますが、

今季のカープが広島の外からどう見えているのか、とても興味深いです。

それぞれの順位予想も聞いちゃいますよ~!

 

明日は、3時48分から7時55分まで、「ず~っと~、ず~っとねぇ~♪」(by永井真理子、懐かしい~)

テレビ派ですよ!!!

 

※歌は番組には関係ありません。私が、開幕前で浮かれているだけです(^^)

 

ドタバタかいご備忘録⑥ 親心

発病から5年、母はついに一人で生活ができなくなりました。

そんな母が最初に頼ったのは、私達娘ではなく、生まれ育った実家でした。

母の兄夫婦が住んでいて、日に何度か動けなくなる母をトイレに連れて行くなど、

随分助けてもらっていました。

私も横浜に住む姉も、親戚に迷惑をかけているのが心苦しく、どちらかのところへ来て

一緒に生活してほしいと母に頼みましたが「娘に迷惑をかけたくない」の一点張り。

なかなか首を縦に振ってくれませんでした。

 

頑なだった母の心が動いたのは、それから1年後。

4歳と2歳の子育て中だった姉が仕事に復帰することになり、

孫の世話や家事のサポートができればと、横浜での生活を選んだのです。

病気になっても、できる限り娘の役に立ちたいと思う親心からでした。

 

姉は、まず横浜でも母が適切な治療が受けられるように、

パーキンソン病の医師探しを開始。

そして、その医師から、介護保険サービスの利用を勧められます。

それが、母がその後14年近くお世話になることになる「介護保険」との出会いでした。

初孫(私の甥)を抱っこする母(2001年1月)

 

ああ卒業式で~泣かない~と~♪

先週の金曜日、娘が小学校を卒業しました。

「ああ卒業式で泣かないと~、冷たい人と言われそう~」(by斉藤由貴)ではありませんが、

私、自分は娘の卒業式で泣かないんだろうなと思っていました。

ところがどっこい!泣きました。

終わってみれば、ハンカチが湿っぽくなっていました(汗)

涙の理由は、まず、卒業証書を受け取って席に戻る娘の後ろ姿が、

とても大きくなったように感じたから。

6年前の入学時114センチだった身長が、今では150センチ。

大きく見えるはずですよね。

さらに、一生懸命歌う姿を見ながら

「この瞬間はもう二度とないんだな。親を最も必要としてくれた小学生時代はこれで終わりなんだな」と、

感傷的になってしまいました。

子供の成長に、嬉しさと寂しさを感じてしまうのは私だけでしょうか。

それにしても、娘は6年間、友達との大きなトラブルもなく、先生を敬い、ほどほどに勉強し(笑)、

元気に学校に通ってくれました。

一番思い出されるのは、私が育休中だった1年生の時。

暑い中、汗だくで学校から帰ってきて、私の顔を見るとすごく嬉しそうに「ただいまー!」と

言ってくれました。かわいかったな~。

と、いいことばかり書いてきましたが、最後に、反省したいことが…。

これまで毎朝、娘を笑顔で「いってらっしゃい」と送り出していたのに、

実は卒業式の日に限って、それができませんでした。

というのも、娘が出がけになって

「卒業証書を受け取る時に邪魔にならないように、髪をまとめてきなさいって言われたんだった!」

と言い出したから。

焦った私が「なんで、出る時になって言うの!」と怒り、娘はめそめそ泣き出すという、

なんとも不穏な朝になってしまいました。

本当はいつも以上に笑顔で見送ってやりたかったのに…。

娘の成長に反して、私は親としてなかなか成長できません。トホホ…。

皆様、特別なことがある日は、時間に余裕を持って準備しておくことをオススメします!

(卒業式当日、泣きべそをかきながら登校する娘(^_^;))

(入学式の時の後ろ姿。6年間で大きくなりました)

 

ドタバタかいご備忘録⑤ 無知

母がパーキンソン病と聞かされて以降、私は毎日のように横浜に住む姉と電話をしました。

それぞれが病気について調べ、

母に介護が必要になるのはいつごろで、その時はどうすべきかなどを話し合いました。

そして、母が一人で生活ができる間は密に連絡を取りながらサポートし、

いずれはどちらかの家に母を呼び寄せようと決めたのでした。

 

それにしても、パーキンソン病だと分かるまで、私は無知をいいことに、

母に随分と無理を言ってしまいました。

例えば、指の震えも、貧乏ゆすりの一種と思い、

「止めないと癖になるよ」とよく注意していたし、

母娘2人水入らずで北海道旅行に行った際も、

バスの時間が遅れそうなのにゆっくり歩いている母にイライラしてしまいました。

今思えば、あの頃の母は元気に見えて、少しずつ体が動かしにくくなっていたのでしょう。

 

母の病状は、ゆっくりと進行していきました。

左手の中指から始まった震えも、左手全体に及び、右手、両足、

数年後には、あご、まぶたまで広がっていきました。

帰郷するたびに、母の病状が悪くなっているのが分かり、

不安な気持ちになったのを覚えています。

母(当時50歳)と二人で初めての北海道旅行 (1998年9月)

モテモテお姉ちゃん

一般的に男の子はお母さんが一番好き、なんて言われますが…

強力なライバルが現れました。

お姉ちゃん(長女)です。

我が家の息子たちは、とにかくお姉ちゃんが大好き。

毎晩、どちらがお姉ちゃんと一緒に寝るかで、ひともんちゃくあります。

長女も「たまには一人で寝たいんだけど」と言うくらい、

必ずどちらかがお姉ちゃんの部屋で寝たがります。

 

昨日は、5歳の次男がその権利を勝ち取りました。

しかし、長女の宿題が終わっていなかったため、

ひとまず、私の布団でお姉ちゃんを待つことになりました。

 

「今日は、このままお母さんと寝ようよ~。お母さんも、あなたと一緒に寝たいな~。」

と次男に言うと、

「おかあさんとは、あしたかあさって、ねてあげるね」と丁重に断られました(汗)

さらに、絵本を読んでやろうとすると、

「えほんをよむとおねえちゃんがくるまえにねむくなっちゃうから、よまなくていい!」と、意志が固い。

ライバルどころか、完敗です。

結局、いつの間にか眠ってしまい、私の隣で朝を迎えて不満そうでした(^_^;)

 

今朝、長女が「ごめんね。代わりに、二日連続で一緒に寝てあげるね。」と、

なだめていました。

この女神のような優しさが、弟たちをますますとりこにしています♡

ドタバタかいご備忘録④ 告知

パーキンソン病の原因である、脳内のドーパミン減少がなぜ起こるかは分かっていません。

それでも、母の病気の引き金はやはり大きなストレスが重なったことにあるのではないでしょうか。

夫の大病という心労、長い看病疲れ、そして喪失感…

 

私が広島テレビに入社した4日後、父は53歳でこの世を去りました。

私は母に、広島に来て一緒に生活してはどうかと提案しました。

落ち込んでいる母を心配したのと、

私自身、父が亡くなった寂しさと、広島での新生活に心細さを感じていたからです。

しかし、母は店があるからと、福井の自宅に残りました。

母にとっては、49歳で生まれて初めての一人暮らしが始まりました。

 

それから3か月ほどたったある日、母からいつもとは明らかに違う動揺した声で

電話がかかってきました。

 

「手があんまり震えるから、今日、病院に行ったんやけどね。

お母さん、パーキンソン病っていう病気なんやって。

寝たきりになってしまうかもしれんって。

変な病気になってしまって…どうしよう…」

 

その聞きなれない病名と「寝たきり」という言葉に不安を感じながらも、

「絶対に寝たきりになるわけではないんでしょ。大丈夫。

私も、病気の事調べてみるから。

いざとなったら、こっちに来て一緒に住めばいいんだから。」

とりあえず、そんなような事を言って電話を切ったような気がします。

 

母にとっては、夫との死別という深い悲しみをこれから乗り越えようという矢先の

パーキンソン病の告知でした。

 

入社1年目の夏、母が広島に遊びに来た時の一枚。

「広島に骨を埋めるつもりでがんばる」という私に、

「お母さん、ずっと一人になってしまう…」と泣かれました(汗)

 

2月27日に…

24歳になりました!

あっ、間違えた。

42歳になりました(^^)

 

「24歳になりました」発言をした先週の月曜日、

番組を見ていたコメンテーターの城みちるさんからも

「24歳は無いわ!!」と、即メールが来ました(^_^;)

テレビの前で突っ込んで下さった皆様、ありがとうございました!

 

さて、そんな今年の誕生日、子供達がそれぞれプレゼントをくれました。

 

長女からは、ハンカチ。

なんと、布を切って周りを縫って…と、一から手作り!

花と鳥の刺繍も、もちろん娘が施したんですよ!

小指の爪ほどの小さな刺繍。

小さいものを慈しむ娘らしくて、愛しいです。

添えられた手紙には…

「いつもいそがしいのに、わたしたちのめんどうを見てくれてありがとう」の文字。

この子からもらう手紙には、いつも、私を気遣う言葉が入っています。

 

長男からは、手作りの「ガシャット」。

仮面ライダーエグゼイドの変身アイテムです。

このガシャットをベルト(オレンジの箱)に差し込んで変身します。

「仮面ママだー」に変身しましょうか(笑)

このベルトを模した箱を裏返すと…

「お母さん 毎日ありがとう」の文字。

普段はあまのじゃくの長男だけに、キュンとします。

それと、「毎日」の漢字が書けて、安心しました。

 

次男からは、保育園で作った紙の箱です。

裏には、覚えたてのひらがなで名前が入っていました。

早くプレゼントしたくてしょうがなかったようで、

「もうあげてもいい?おねがい!」と言って、誕生日の2日も前に渡してくれました。

かわいい♡

誕生日に免じて、親バカをお許しくださいませ(^◇^)

 

義母からはエプロンを。

テレビ派の仲間からも、ケーキと紅茶を頂きました。

42歳改め24歳の指で、はいチーズ!

年々照れ臭いけど、やっぱり嬉しい誕生日でした(*^_^*)