月別アーカイブ: 2018年12月

間もなく半年

西日本豪雨災害から間もなく半年。

先日、被災地である広島市安芸区矢野西を取材しました。

実は私は、豪雨の2日後と1か月後にもここを訪れていて、

被災された方から貴重なお話も伺った、ご縁のある地域です。

 

最初に向かったのは矢野小学校。

被災直後は、グラウンドに大量の土砂が流れ込み、

鉄棒は手をかけるところが少し顔を出す程度まで埋まっていました。

校舎の中にまで泥水が入り、先生方がブラシで必死にかき出していたのを思い出します。

1か月後におじゃますると、想像に反し、グラウンドの土砂は減るどころか増えていました。

仮置き場になったからです。

あれから4か月。

グラウンドには元気に遊ぶ子供たちの姿が!

災害前なら当たり前の光景ですが、この時ばかりは感動しました。

土砂がきれいに取り除かれ、もとの姿に戻ったグラウンド。

泥をかぶりさびついた鉄棒は新調され、その横には、地域の方々が塗ってくれたという

カラフルなタイヤ跳びが並んでいました。

豪雨で流された子供たちの鉢植えも業者が新たに無償提供してくれたそうで、

復旧の陰には、たくさんの人の支えと厚意があるのだなと感じました。

教頭先生はおっしゃいます。

「半年が経ち、山肌の崩れも見えなくなった。

こうやって災害は忘れられていくのかもしれない」と。

土砂の痕がついて色が変わった塀などは、後世への教訓として

あえて直さないとのことでした。

 

姫宮地区で被災された方々にも再会しました。

被災直後、しんどくてたまらないはずなのに、

「避難所で受けた様々な支援に対して、私たちに代わってテレビでお礼を伝えてほしい」と

気丈に話してくださいました。

明るく話している途中にふと涙ぐまれたことが、今も忘れられません。

1か月後にお会いした時には、避難所での生活を続けながらも、

「テレビで他の被災者の方を見て、うちだけじゃないと知ってがんばれた」と

おっしゃってくれました。

お会いする度に、被災地を取材することの意義を感じさせてくれる温かい皆さんです。

この度、4か月ぶりにお会いすると、災害後に二次被害で入院した方、家が解体され

更地になってしまった方、自宅は修理できても周囲の変わっていく景色に涙された方など、

それぞれの悲しみがありました。

それでも「矢野が好きだからここに住み続けたい」と口をそろえるのは、

昔からみんなで一緒にバーベキューをしたり旅行に行ったりと、

深いご近所付き合いがあってこそ。

人を前向きにするのは、やっぱり人なんだなと思いました。

 

被災された皆さんにとって、来年は心穏やかな、いい1年になりますように…。

 

 

 

ドタバタかいご備忘録㊹ 認知症を受け入れる

認知症の宣告から、精神科への緊急入院、胃ろうの危機、褥瘡(じょくそう)治療など、

めまぐるしい日々を送る中、私の心にはある変化が生まれていました。

それは、母の認知症を受け入れ始めたことです。

 

認知症と診断された時、私は「やっぱりそうだったか」と納得はしても、

その後も母がおかしな言動をすると、元気な頃と変わらず母を咎めてしまっていました。

しかし、どんなに正そうとしても母は納得することはなく、精神状態が不安定になるばかり。

私もイライラして、ついきつい言い方をしてしまい、自己嫌悪に陥る…その繰り返しでした。

転機となったのは、10年前(今から21年前)に他界した

父(母にとっての夫)に関する会話です。

父が亡くなったことを忘れてしまった母は、しきりに

「お父さんは今どこにいるの?」と聞いてきました。

「10年前に亡くなったでしょ。」と答えると、母は「本当に?」と驚いて、

ひどく落ち込みました。

そして数日後、再び「お父さんはどこ?」と質問をしてきました。

「がんで亡くなったでしょ。覚えてない?」と私が言うと、「本当に死んだの?」と、

また初めて知ったかのようにショックを受け、悲しみました。

そんな会話を繰り返すうちに、私は、

真実を伝えるのが母にとって果たしていいことなのだろうかと考えるようになりました。

何度も何度も悲しい思いをさせるより、穏やかに受け流すほうが母のためではないか…。

以来、「お父さんは?」と聞かれれば、「生きている」とは言わないまでも、

「会いたいよね。私も会いたい。」とか「いつもお母さんを見守っているね。」などと返し、

別の話に持っていくようにしました。

それでも問い詰められて、結局本当のことを言わなければならないこともありましたが(汗)

 

母の幻覚や妄想に対しても同じです。

「そんなものはいない。」とか「間違っている。」などとは言わず、

「そうだね。私には見えないけど、お母さんには見えているんだね。」とか

「お母さんはそう感じるんだね。」と、否定しないことを心がけました。

そうやって少しずつ、私は母の認知症を受け入れていったのです。

 

一方で、受け入れたくても受け入れられないことがあるのも介護の現実。

次回綴ります。

ハルイチノオトの特番がありますよ~!

先週の月曜日、テレビ派の人気コーナー「ハルイチノオト」の年末特番のロケに

参加しました。

因島出身、ポルノグラフィティのギタリスト、新藤晴一さんが

広島県内の様々な場所を訪れ、魅力的な人々と触れ合うこのコーナー。

毎回、晴一さんのミュージシャンらしからぬ(!?)素のリアクションが面白いですよね。

 

今回は、しまなみ海道が舞台の旅企画。

スペシャルならではの優雅な体験に、

晴一さんのセンスが光るモノづくり、

超穴場のグルメも堪能しました。

晴一さんとご一緒して、つくづく、頭の回転の速い方だなと思いました。

ぽんぽんと、ピッチングマシーンのように次から次へとユーモアが飛び出してくるんです!

さすが、たくさんの名曲を生み出す頭の中は違いますね~。

晴一さんの思い出の場所にも立ち寄り、因島話もたくさん聞けました。

 

翌日は、野球解説者の池谷公二郎さんがロケに参加。

カープ大好きな晴一さんと野球談議で盛り上がったみたいですよ。

 

「テレビ派特番 ハルイチノオト

~空と海が交じる しまなみ故郷がえり~」は、

12月29日(土)夕方4時55分からの放送です!!!

ドタバタかいご備忘録㊸ 自分の体のことは自分で決める

“胃ろう”と“足の切断”という二つの大きな危機を乗り越えた母。

この出来事を通して、私は

「自分の(家族の)体のことは自分で決める」大切さを学びました。

医師の勧めに「NO」を言うのは、本当に勇気がいることです。

わがままだと思われるのではないか、専門家の言うことを聞くべきだ、などと考え、

本心が言いづらくなります。

それでも、自分の体ですもの!遠慮する必要はない。

自分の心に従って、本当に受けたい治療を選べばいい、と私は思うのです。

少なくとも、母はそうしたことで、

最期まで口から物を食べ、自分の足で歩くことができました。

 

そして、もう一つ。

もしもの時にどんな治療を受けたいか、受けたくないか。

また、自分の価値観などを、元気なうちから家族と話し合っておくことが重要だと思います。

胃ろうと切断を勧められた時、

私が一番知りたかったのは「母自身がどうしたいのか」でした。

しかし、母はもう自分で自分のことを決められなくなっていました。

母の人生を左右する重い決断を、自分一人にゆだねられる怖さ…。

元気なうちに話し合っておけばよかったと後悔しました。

 

実は、母の最期でもまた、私は大きな選択を迫られることになります…。

いずれまた、この備忘録で書かせていただきます。

 

呉の皆さん、ありがとうございました!

西日本豪雨から今日で5か月。

先週日曜日、日本テレビの鈴江アナ、杉上アナ、郡司アナ、市來アナ、弘アナと一緒に、

被災地・呉を訪れました。

呉の子供たちに、絵本の読み聞かせや日本語のゲームで楽しんでもらうためです。

この活動は、東日本大震災以降、

日本テレビのアナウンサーが全国の被災地で行っているもので、今回が20回目。

「一緒にやりませんか?」と声をかけていただき、広島テレビから私と澤村アナが

参加しました。

会場となったのは、呉ポートピアパーク。

実は、豪雨災害以降150日間にわたり休園していて、この前日にようやく再開したばかり。

「これまで重機やボランティア関係の車しか見られなかった駐車場に、

一般の車がたくさん止まっているのを見て嬉しかった」という地元の方の声も聞かれました。

 

イベントは、午前と午後の2回行われました。

「USA」の広島・呉バージョンを踊り、

弘アナのバイオリンの演奏をバックにした絵本の読み聞かせ、

子供たちと一緒にゲームのような楽しい発声練習にも挑戦しました。

被災してから今も「雨が怖い」という子もいましたが、

この時ばかりはみんなお腹からしっかり声を出して、いっぱい笑ってくれました。

そのリアクションの良さに、私達のテンションもMAX。

アナウンサーというより、歌のお兄さんお姉さんみたいになっていました。(私も一応

お姉さんでいいかしら?)

また、広島チームの私と澤村アナは、広島弁クイズを開催。

親御さんも参加してくださり、ぶち嬉しかったです(^^)

来てくださった皆さん、ありがとうございました!

 

その後、日本テレビのアナウンサーの皆さんと天応地区を回りました。

大通りは災害前の姿に戻っていても、

道を一本入ると、あの日から時が止まったような光景がありました。

瓦屋根が傾き、柱がむき出しになった手つかずの家。

人が住んでいても、青いビニールシートで応急処置をしたままのお宅は何件もありました。

痛々しい土砂崩れの痕に、そこかしこに積まれたがれきや土砂…。

5か月が経ち豪雨災害に関する報道はどうしても少なくなっていますが、

ドアを開けたら土嚢が目に飛び込んでくる生活が、まだここにはあるのだと実感しました。

復興の歩みが加速することを祈るばかりです。