月別アーカイブ: 2019年8月

ドタバタかいご備忘録を読んで下さり、ありがとうございました!

備忘録の前に…

一昨日、昨日は24時間テレビへのご協力ありがとうございました。

募金をしてくださった方、ボランティアとして参加してくださった方、

24時間テレビのステージを見に来てくださった方、皆さんにお礼を申し上げます。

私がおじゃましたイオンモールの募金会場では、我が家の末っ子と同い年の男の子が

募金箱を首から下げて、募金の呼びかけを頑張ってくれていました。

長時間立っているだけでも大変だったと思います。

子どもから大人まで、様々な人たちの善意で24時間テレビが続いていることを、

今年も実感しました。

本当にありがとうございました!

 

 

さて、ドタバタかいご備忘録を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

ブログ上で、しかも育児日記の中で書くには、ちょっと重い内容でしたね…(汗)

 

終わってみれば、60回にもなりました。

母が亡くなって丸3年となる、今年の8月28日の命日までに…とラストスパートをかけ、

2年半越しで、ようやく書き終えました。

いろいろありすぎて、書ききれるのか、そもそも覚えているのか不安でしたが、

自分でも驚くほど当時の光景や感情がありありと蘇りました。

これでやっと、母との予期せぬ別れを受け入れ、気持ちの整理がついたような気がします。

 

実は、この備忘録を書く原動力の一つに、ある手紙の存在がありました。

それは、かつてデイサービスの送迎をしてくださった女性が、母が亡くなった後、

送ってくださったもので、母が当時、自宅のリビングからの眺めを

「ここから見る夕日は素敵でしょう?私、大好きなのよ。」と話していたという

エピソードが書かれていました。

母が、慣れない広島暮らしの中で、少しでも喜びを見つけてくれていたことを知り、

救われる思いがしました。

そして、備忘録を始めようとしていた私に、

「ぜひ書いてください。絶対に書いてくださいね。」と、応援してくださいました。

以来、挫折しそうになると、いつもこの言葉を思い出し、自分を鼓舞してきました。

 

さらに、備忘録に頂いた、皆さんからのメッセージや、「読んでますよ。」という声にも、

どれだけ励まされたか分かりません。

あらためてお礼を申し上げます。

 

母から教えてもらったことを無駄にせず、これからもお仕事がんばります!

 

 

広島からも…24時間テレビ!

明日、明後日は、いよいよ24時間テレビです。

42回目となる今年のテーマは「人と人~ともに新たな時代へ~」。

令和になって初めての24時間テレビ。

自然災害をはじめ様々な困難が降りかかる現代だからこそ、

手を取り合って新しい時代を作っていこう、

そして様々な人が手を取り合う時代にしていこう、そんな思いが込められています。

 

広島からは、25日(日)、イオンモール広島府中の特設ステージをメインに、

午前11時27分から「人と人~ともに新たな時代へ~㏌広島 part1」を放送します。

去年の西日本豪雨で大切な仲間を失った熊野東中学校サッカー部が、

亡き友の分までがんばろうと挑んだ、中学生最後の大会を取り上げます。

悲しみと必死に向き合い、乗り越えてきた彼ら。

亡くなったチームメイトのお父さんと続く交流も胸を打ちます。

ゲストは、呉市音戸町出身の歌手で、今年デビュー20周年を迎えた島谷ひとみさん。

歌でエールを送っていただきます。

私も、ステージ司会でがんばりますよ~。

 

午後4時59分からの「人と人~ともに新たな時代へ~㏌広島 part2」は、

エキキタ広テレの特設ステージから、

義足の男性モデルと義肢装具士との絆をご紹介します。

 

24時間テレビでは、お預かりした募金から一切の経費を差し引くことなく、

福祉、環境保護、西日本豪雨災害などの災害復興支援に活用させていただきます。

県内各地の募金会場では、今年も多くのボランティアの方が

チャリティー活動に協力してくださいます。

皆さんの善意をよろしくお願いします!

 

今年のチャリTシャツは、嵐の大野くんがデザイン!

今日のテレビ派では、出演者全員、黄色でそろえてみました。

ドタバタかいご備忘録(60)母の介護から学んだこと

私は、母の病気を通して、たくさんのことを学びました。

介護保険制度のこと、介護施設の種類、認知症の様々な症状、精神科病棟の日常、

褥瘡(床ずれ)の怖さ、介護はきれいごとではないということ、

そして、延命治療の選択の難しさまで…。

母は、病気で苦しむことと引き換えに、最後の最後まで、

身をもって私に教えてくれたのです。

 

さらに、もう一つ。

母の通っていた病院には、病気の子ども達も多く訪れていました。

その姿を目にするうち、もし自分が押す車いすに、母ではなくわが子が乗っていたら

もっと辛いはず…、そう感じるようになりました。

それは、母の介護に悩み、自分が一番不幸であるかのように落ち込んでいた私にとって

大きな気づきでした。

世の中には、もっともっと苦しんでいる人がいて、どんなに幸せそうな家族でも、

それぞれに悩みを抱えているのでしょう。

母はもしかしたら、私や子ども達の代わりに、

我が家の試練を引き受けてくれていたのかもしれません。

 

自宅介護と施設介護、合わせて12年の“ドタバタかいご”は、無知で世間知らずだった私に、

こんなにもたくさんのことを気づかせてくれました。

 

お母さん、ありがとう。

あなたの娘でよかったです!

 

 

ドタバタかいご備忘録(59)陰りのない気持ち

母が亡くなって一番つらかったのは姉だったのではないかと、私は思っています。

母がパーキンソン病になった時、私と姉は、二人で協力して介護をしていこうと話しました。

母には姉のいる横浜と私のいる広島を行ったり来たりしてもらって、

介護を分担するつもりでした。

姉は母をいつでも横浜に呼べるように、部屋が一つ多い家に住み替えもしていましたが、

母は広島で人間関係を築き、広島に住み続けることを選びました。

結果的に、姉は、何もしてあげられなかったと落ち込み、

私に対しても任せっきりになってしまったと、後ろめたさを感じているようでした。

 

私は、姉に自分を責めないでほしいと願っています。

母を広島に呼んで12年。

たくさん悩んで、たくさん奔走しましたが、私にはそれができる環境がありました。

受け入れてくださる介護施設があり、病院があり、母の友人の協力があり、

夫や上司の理解もありました。

私が母のことだけで手一杯の時は、義父母が子供をみてくれました。

周囲に支えられ、母との時間を過ごすことができた私は、とても恵まれていたのです。

 

20年前、父が他界した時、私は何もしてあげられなかった後悔を、何年も引きずりました。

一方で、母が亡くなった後は、不思議なくらい陰りのない気持ちでした。

私なりに必死に向き合ってきたからでしょうか。

もっと優しくしてあげればよかったという反省はあるけれど、

母に対して私がしてきたことは、その時その時の精一杯だったと思っています。

 

不定期連載 ヒロシマ日記<27>「被爆ポンプ」をご存知ですか?

昨日は、74回目のヒロシマ、原爆の日でした。

被爆者の平均年齢は82歳を超え、記憶の継承は待ったなしの課題です。

 

JR広島駅のすぐ近くに「被爆ポンプ」と呼ばれる手押しポンプがあるのをご存知ですか?

猿猴橋町の道端に静かに存在しているので、気づかずに通り過ぎているかもしれません。

広島に原爆が落とされる前からそこにあったと思われるそのポンプは、

錆びつき、壊れ、もう水は出ませんが、

「被爆ポンプです 残してください」と書かれたブリキの板がかけられています。

メッセージを書いたのは、被爆体験伝承者でもある永原富明さん。

原爆で苦しむ人々、戦後の街の復興など、ポンプが見つめてきた広島の歴史を

忘れてはいけないとの思いからでした。

 

その被爆ポンプが、去年、絵本になりました。

描いたのは、なんと当時9歳の女の子、児玉美空さんです。

お母さんからポンプのことを聞き、親子で調べ、永原さんを訪ねました。

「みんなに、子供たちに、伝えてあげてね。」と声をかけられ、

「私がしなきゃ。」と、子供でも読める絵本作りを思いついたそうです。

 

先日、私は、美空ちゃんに会い、直接、絵本を読んで聞かせてもらいました。

ポンプ自身があの日のことを語り、平和な世の中を願う物語。

ポンプに心があるようで、かわいらしい絵と相まって、あたたかい気持ちになります。

被爆ポンプのことを「ポンプさん」と呼んでいた、純粋な美空ちゃんらしい絵本です。

 

私は、絵本を描き上げた美空ちゃんの感性はもちろん、

それをサポートしたお母さんの行動もまた、すばらしいと思いました。

「広島で生まれ育ち、いつか娘に、原爆の話をしたいと思っていた」というお母さん。

美空ちゃん自身が知りたいと言った機会を逃さず、

永原さんを探し、資料を集め、親子で協力して絵本を完成させました。

私も、わが子に戦争や原爆のことを伝えたいと、

絵本やテレビを見せ、資料館に連れて行くなどしてきましたが、

それでどこか満足してしまっていました。

もう一歩踏み込んで、子供と一緒に調べたり勉強したりすることが大切ですね。

 

絵本を読んだ永原さんは、「嬉しくて嬉しくてたまらない。

バトンが次の世代につながった。」とおっしゃっていました。

永原さんの「伝えたい」は、美空ちゃんの「伝えたい」になりました。

「想い」が受け継がれるのが継承…そう感じた、今年の8月6日です。

ドタバタかいご備忘録(58)最後は福井で…

母の葬儀は、故郷・福井県で執り行いました。

私の都合で、遠い広島に連れて来てしまいましたが、母の心の中には常に福井があって、

認知症になった後は、「福井に帰る」と言って何度も施設を抜け出しました。

「最後は、福井に帰らせてあげたい」

前々から、心のどこかで、そう決めていました。

まさかこんなに早くその日が来るとは思いませんでしたが…。

 

葬儀の手配は姉がしてくれました。

横浜に住む姉と連絡がついたのは、私が人工呼吸器をつけない決断をした後でした。

姉は突然の知らせにショックを受け、電話に出られなかったことをひどく悔やみましたが、

私が決めたことを全て受け入れてくれました。

 

遺体は専門業者にお願いし、広島から福井まで車で搬送していただきました。

仕事とはいえ、長距離を無事に運んでくださったスタッフの方に、深く感謝しました。

 

母は、愛する故郷で、大好きなきょうだい達や親戚、家族に見守られながら旅立ちました。