月別アーカイブ: 2020年8月

“怪我の功名”なるか…!?

この夏、長男が大けがをしました。

おばあちゃんの家に、兄弟で我先にと競って入ろうとした時のことです。

一歩先に入った次男が急いで扉を閉めようとし、

そうはさせまいと手を出した長男が、扉に右手を強打。

ガラスが割れ、手首の内側を深く切ってしまいました。

玄関は血まみれ。

長女が泣きながら電話をかけてくるほどの流血でした。

救急車で病院に運ばれ、血を止める処置をしたものの、

専門医に診てもらったほうがいいということで整形外科へ。

ちょうど仕事を終えた私と夫は、会社から病院へ直行し、

処置室で横になっていた長男と対面しました。

「大丈夫だから心配しないで」とでも言うように、笑顔で手を振る長男。

安心させようとする仕草が健気で、思わず涙が出ました。

医師が傷口を触ると表情が歪み、「痛い」と口にしていましたが、

泣かずに必死に耐えている姿に、さすが中学生だなと成長を感じました。

動脈を痛めていることが分かり、すぐに手術ができる病院に再び移動。

細い動脈と、親指を支える腱が切れていましたが、神経などは傷ついておらず、

午前3時に無事に手術を終えました。

こういう時って、親は子供を見守ることしかできないんですね。

深夜にも関わらず手術をしてくださった医師と看護師、そして、

最も早く適切な処置ができる病院に導いてくださった救急病院の先生方、

ケガをした直後に駆けつけ、最後の病院に到着するまでずっと付添ってくださった

救急隊員の皆さんなど、たくさんの方々にお世話になりました。

人間はいろんな人に支えられて生きているんだなと、しみじみ思いました。

 

長男曰く、ケガをした時は大量の血を見て

「痛いよりも、死んでしまうのではないかと怖かった」そうです。

これに懲りて、兄弟の争いが減ってくれればいいのですが…。

子育てはいろんなことがありますね(汗)

24時間テレビ、始まります!

24時間テレビが、いよいよ今日から始まります!

こちら、今年のチャリTシャツ。

エネルギッシュな狛犬が、元気をくれますね。

なぜ、このTシャツが未開封かといいますと…

実は私、今年は、アナウンサーになって初めて、

テレビでチャリTシャツを着ることがありません。

キャッシュレス募金をして、テレビの前からしっかり応援したいと思います!

 

思い起こせば、23年前の24時間テレビ、アナウンサー1年目だった私は

竹原バンブージョイハイランドのステージに立っていました。

プロ野球の話題になり、私が東京で過ごした学生時代、

周りがほとんど巨人ファンで、一緒に応援していたと話すと、

客席が静まりました。

あのアウェイ感…忘れもしません(汗)

また、「穏やかな瀬戸内海が好きで、よく見に行きます」と発言しておきながら、

「例えばどこに?」との問いに、「浜田」と答え、

「それ日本海じゃん!」と突っ込まれました。

いや~、ハチャメチャな新人でした。

今だから笑って話せますが、実は何十年も思い出したくない失敗談でした。

 

今年の広テレ新人アナは大丈夫です!

しっかり者の福山市出身、木村和美アナ。

今回の24時間テレビでは、募金会場のリポートを担当し、

カープ佐々岡監督のインタビューも務めています。

ご注目ください!

今年は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、

キャッシュレス募金を中心に、皆さんの善意をお預かりしています。

例年の募金会場も変更になっていますので、

広テレのホームページなどをご確認ください。

ご協力をよろしく願いいたします。

 

では、私は月曜日の「テレビ派」でお目にかかります(*^_^*)

不定期連載 ヒロシマ日記<36>被爆75年の夏

一昨日8月9日は、長崎原爆の日でした。

原爆投下時刻の午前11時2分、私が住んでいる廿日市市でもサイレンが鳴り、

子供たちと手を合わせました。

田上長崎市長は、平和宣言の最後を「長崎は、広島、沖縄、そして戦争で

多くの命を失った体験を持つまちや平和を求めるすべての人々と連帯して、

核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることを、ここに宣言します。」

と締めくくりました。

6月の沖縄慰霊の日の平和宣言に、「ヒロシマ・ナガサキと平和を願う心を共有する」

という文言があっただけに、一昨日の宣言に「沖縄」が含まれていたことが

個人的には嬉しく思いました。

また、今年の広島の平和宣言の中に6度も登場した「連帯」という言葉が

長崎でも使われ、まさに連帯感を感じることができたのも印象深かったです。

 

被爆75年となった今年の8月6日、私は、ジャーナリストの池上彰さんと、

広島・原爆の日の特別番組を放送しました。

今年は被爆者の高齢化に、新型コロナウイルスという新たな問題が加わり、

被爆体験を聞く機会が当たり前ではなく、いかに貴重か、

改めて気づかされることになりました。

そんな中、あの日の記憶を懸命に受け継ごうとする高校生に語った

池上さんの言葉…

「この75年、被爆者が広島・長崎の惨状を伝え続けてきたことで、

世界の人々は、原子爆弾が単なる大きな爆弾ではないことを知り、

核兵器は“使えない”兵器になった。

記憶が薄れると、“使ってみようか”という誘惑に駆られる人が出てくる

危険性がある。

だからこそ、あの日何が起きたのかをずっと言っていかなければならない」

 

今後、核兵器が“使えない”兵器のままであり続け、

さらに“この世からいらない”兵器になるかどうかは、

今を生きる私たちにかかっているんだなと強く感じました。

次世代に平和のバトンをつなぐ一人として、身の引き締まる8月です。

(池上さんにはテレビ派にもご出演いただきました)

 

不定期連載 ヒロシマ日記<35>旧広島陸軍被服支廠とレストハウス

広島で今年、注目を浴びている被爆建物があります。

爆心地から約2.7㎞、広島市南区にある旧広島陸軍被服支廠。

かつて軍都として栄えた広島で、軍服や靴などを製造・管理した軍需工場です。

原爆投下後には臨時の救護所としても使われ、多くの人々がここで命を落としました。

現存する4棟の赤レンガ倉庫は、原爆の爆風で変形した窓の鉄扉がそのまま残っています。

広島県は去年、県が所有する3棟について、震度6強の地震で倒壊する恐れがあるとして、

1棟を外観保存、2棟を解体・撤去する案を示し、県民の意見を公募。

結果は、反対が62.2%、賛成が31.9%となり、今年度の事業着手は見送られました。

 

もの言わぬヒロシマの証人として残してほしい、

戦争の加害の歴史を伝えるという意味で、他の被爆建物とは違った価値がある、

鉄筋コンクリート建築としても日本最古級…などの意見がある一方、

3棟保存の場合、利活用費を含めると100億円規模となり、

財源の確保をどうするのかが大きな課題です。

 

私は、保存と活用はセットだと思っています。

多額の費用をかけて残しても、そこで何があったのかが見る人に伝わらなければ

もったいない!

どうすれば、たくさんの人に足を運んでもらえるのか。

そして、あの建物から戦前戦後の広島の歴史を振り返り、

全ての戦争の犠牲者に思いを馳せてもらうにはどうしたらいいのか…。

それを考えることが、おのずと、この市内最大級の被爆建物を守ることにつながると

期待しています。

 

先日、リニューアルオープンした、平和記念公園内のレストハウスに行ってきました。

被爆建物であることは知っていましたが、これまで、何気なく通り過ぎてしまっていました。

大正屋呉服店として建設、後に「燃料会館」となり、被爆当日37人が勤務していましたが、

たまたま地下に資料を取りに降りていた1人を除き、原爆の犠牲になりました。

新しく作られた展示室では、平和公園の地下に眠る被爆前の街、中島地区の移り変わりや、

レストハウスの歴史を深く知ることができ、

生存者の手記や被爆当時の様子を描いた絵も見ることができます。

平和公園内で被爆前の面影を残す唯一の建物の存在意義に改めて触れ、

見る目が変わりました。

もの言わぬ証人だからこそ、見る人の想像力に訴える記憶の継承が必要と感じました。

旧広島陸軍被服支廠にも通ずるかもしれません。