月別アーカイブ: 2015年8月

24時間テレビ38

38回目を迎えた24時間テレビの今年のテーマは、つなぐ~時を超えて笑顔を~

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今年も広島テレビ、県内各地の募金会場に多くの方にお越しいただきました。

皆様のご協力、ありがとうございます。

「未来につなぎたいもの」をボランティアの方や募金に来てくださった方に伺いました。

「お好み焼き!広島の食文化を伝え続けていきたい」そして

「へいわ」と平仮名で紙に書いてくれた子どもたちもいました。

今年は戦後70年。これから80年、90年、100年に繋いでいきたいと強く感じています。

島で自給自足を目指すカップル②(尾道市)

30度を超え、蝉の声が響く瀬戸内海の百島です。ふと見上げると早くも栗が実っているではありませんか。

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今年4月からパートナーとの百島暮らしがスタートした西野翔梧さん。自給自足を目指した理由は・・・

ぜひ、ホームページをチェックしてみてください。http://nippichun.wix.com/momoshimafarm

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「何してるですか?」と聞くと、秋の種まきが近づき、腐葉土を集めているとのこと。山の土そのまま採る

ほうが手っ取り早いのですが、道路わきの側溝に土が溜まってその機能を果たさなくなっていたため、

溝掃除を兼ねて腐葉土をいただくというのです。考えてます。そして、パートナーの愛さんは・・・

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一足早い秋の味覚に満面の笑みです。虫食いの栗が多かったので労力の割には収穫は少な目でした。

テレビ派のニュースの中では5月にご紹介しました。お2人の想いを応援し続けたいと思っています。

未完成の完成(お宅拝見)

8月19日(水)はテレビ派お宅拝見です!取材に伺った日、おじゃました波多野さんの1人息子

あおいくん4歳のお誕生日でした。おめでとう!!

背景の黒い壁はチョークでお絵描きできるキャンバスになっています。遊び心のあるお宅です。

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遊び心はお父さんのお部屋にも・・・

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お父さんの部屋の壁はなんとフェンス。

木の柱にあえてフェンスを組み合わせることで木の温かみが際立つのだそうです。

見た目もGOODでした!コンセプトの「未完成の完成」とはどういうことなの?

ご期待ください。

燈籠流し(アメリカ・ワシントン州)

マツダスタジアムのモデルとなったシアトルマリナーズの本拠地・セイフコ・フィールドへ。

8月12日、岩隈久志投手の雄姿ノーヒットノーランを偶然にも目撃したのです!!

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日本人が大活躍するシアトルの街では驚きの連続でした。

30年以上も前から毎年8月6日に原爆・戦争犠牲者を慰める燈籠流しが行われていたのです。

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参加しているのは日系の人だけではありません。           (写真 葛原生子さん提供)

実は、シアトルは原爆で家を失った人たちのために家を建てたシュモ―博士の故郷で、平和公園も

サダコの像もあるのです。

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そして戦争を今に伝える場所もあります。日本人の建築家が造り、現在も営業を続けるパナマホテルです。

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ここには、かつてアメリカで唯一といわれていた銭湯が地下にありました。現在はカフェになっている

1階から床の一部がガラス張りになって下が見えるようになっています。

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そこにあったのは、強制収容所に持って行けなかった本や洋服、鞄や店の看板などさまざまです。

収容所に持っていく荷物が制限され「戦争が終わったら必ず取りに来る!」とあずけた大切な品々が

今も持ち主の元に戻ることなく、時が止まったかのように地下にそのままあるのです。

この夏、NATIONAL HISTORIC LANDMARK  に指定されました。

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今後さらに詳しく取材してお伝えしたいと思っています。

広島には被爆した建物が約100あるといわれています。

きょうはそのうちの2か所に行きました。

広島市南区の旧広島陸軍被服支廠は爆心地から2,7キロの場所にあります。

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被爆直後は救護所となり、その時のすさまじい様子は峠三吉の詩にも記されています。

被爆70年となる今年初めて被服支廠の敷地内で慰霊祭が8月8日(土)9時30分から開かれます。

普段は施錠され敷地内に入ることはなかなかできませんが、慰霊祭の日はだれでも参列できます。

被爆建物は過去を知る一つの道しるべ。被爆建物については、保存と活用について模索が続い

ています。歴史的、建築的な価値、そして何より原爆を伝える建物として生かしていけたら世界に

向けての大きな発信力になると感じます。

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広島市中区にある袋町小学校も被爆建物です。爆心地からは460メートルの距離にあります。

日頃、全国各地からの修学旅行生が平和学習に訪れます。きょうは午前中だけで夏休み中の

家族連れなど100人以上が見学に来られました。

案内してくださったのは、ミスター赤ヘルあの方と同姓同名、山本浩二さんです。

被爆直後、校舎の壁が安否を知らせる伝言板となりました。

床に飛び散ったわずかなチョークで書き残したものです。

建て替え調査の時に漆喰の下から発見され、現在は被爆資料として展示しています。

生きていることを信じて必死に書き残した伝言の行方はどうなったのか。

70年前を昨日のことのように感じるメッセージが平和を訴えてきます。

HIROSHIMA AIR CLOCK 公開

オノ・ヨーコさん作 「HIROSHIMA AIR CLOCK」がきょうから広島国際会議場で公開されています。

IMG_1429 高さは3m40cm   幅2m30cm 時計の針は、70年前の8月6日(月)午前8時15分を指したまま

止まっています。

オノ・ヨーコさんは「苦しくて息ができなかったあの瞬間を忘れないでいましょう」とコメントしています。

この作品は広島テレビ平和へのひと筆プロジェクトpiece for peace HIROSHIMA で一番はじめに

「夢」という文字を寄せてくださったオノ・ヨーコさんがプロジェクトに賛同し制作したピースアートです。

その後、平和へのひと筆は1万8,000枚以上となり、広テレホームページにも掲載しています。

時計の針を70年前に戻した8月6日の朝、今の国際会議場が建っている場所には、建物疎開作業の

手伝いに集まっていた大勢の子どもたちもいました。そのことを想像しながらこの場所に立ちました。

8月14日(金)までは、広島国際会議場で、その後は広島市現代美術館、広島県立美術館でも

巡回展示します。ぜひ、広島に来て、感じて、想像してみてください。

再会

「ミヤネ屋」の取材で藤村幸司さんが広島に来ました。

22年前、私が鹿児島読売テレビに就職した4月1日「おめでとう!」と会社に電話をくださった方です。

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その頃、面識がなかったにも関わらず、大阪の「サン放送アカデミー」というアナウンス学校に行っ

ていた後輩ということでわざわざ激励の電話をくれたのでした。

当時、藤村さんは同じ日本テレビ系列の長崎国際テレビのアナウンサーで、鹿児島にアナウンスの

先輩が1人もいなかった私にとっては相談できる心強い存在でした。

近況報告に瞬く間に時間が過ぎ、嬉しい再会となりました。

藤村さんの取材は8月6日(木)ミヤネ屋で放送されます。