カテゴリー別アーカイブ: デイリーコラム

泣けるスポーツ本

「自分を消すこと」。
アナウンサーになって5年目、当時先輩によく言われました。
その頃プロ野球中継の視聴率は、右肩下がりで減るいっぽう。
球界再編問題もあり、全国的にプロ野球人気の低迷の時代です。
もちろんカープも今の熱狂が嘘みたいな状況でした。
そんな中でのプロ野球中継。
「テレビ欄を見て、今日解説が○○だから聞いてみたい。見たいという人はいるけれど、
実況森拓磨とあって見ようと思う人はどれくらいいるんだろうか。
それをしっかり考えなさい」
20台の若者には少々厳しい言葉だと今でも思います。
だけどそのアドバイスから目指したものは、
試合を戦う選手とその魅力を伝える解説者を、存分に楽しんでもらえる中継。
「今日はしゃべりすぎて疲れた。もういい」
と解説者に言ってもらえたことがどんなに嬉しかったことか。

そんな私ですが、この度「本」を書きました。
入社以来、公私共にお世話になってきた元カープ黒田博樹さんとの15年に渡る物語です。
これまでずっと言ってこなかった知られざるエピソードを、
引退された今、初めて世に出しています。
これは「もしも引退することがあれば、本に書いてもいいですか」
と黒田さんに聞いた数年前の、いわば一度口にしたことの約束を果たしたものでもあります。

初稿を完成させた後、担当して頂いた編集者から加筆の要請がありました。
「もっとあなたを書いてほしい。黒田さんの言葉をどう聞き、どう感じ、
どう行動に移していったか。それによって読んでいる間、読者があなたになり、
黒田さんと同じ時を過ごしている感覚になれる」。
野球中継と同じように、とにかく自分を消して書いたものだっただけに、
そこからの加筆は1万字を越えました。

今のところ感想では、
一つ一つの知らなかったエピソードに、その場にいるような感覚で涙が出たという
ありがたい言葉をもらってます。
それだけ黒田さんの行動や言葉が、人の心を動かすという証明でもあると思うのです。
「泣けるスポーツ本」という面白い表現も頂いた本書。
どうか一度手に取って頂きたい。
黒田博樹という人間のプロ野球選手としての生き方と、
野球以外で周りに与えてきた人としての姿。
その15年に渡る真実の物語です。

たこ焼き

「もりちゃん!あんたもウチでたこ焼き作るんね?」
たこ焼き屋の大将に聞かれた。
いつもお世話になってる店だ。
はいと答えると、おもむろに計りの上でブレンドした「たこ焼きの粉」とメモをくれた。
「この分量で78個できるけぇ」。

たこ焼きが好きだ。
子供の頃から。
今でも家族とショッピングモールに行くと、
これから晩ごはんだろうが、持ち帰りで買ってしまう。
ロケの途中の休憩地などで「たこ焼き」の文字を目にすると、ついそわそわしてしまう。
家ではホットプレート。平均すると2週に一度のペースで焼いている。

「大将秘伝のたこ焼き粉」を頂戴した翌日の夕方。
休みだったので、家族にたこ焼きを焼くことを宣言した。
娘は炒飯とたこ焼きの間で揺れ動いていたけど、たこ焼き好きの血には逆らえない。
最後はあっさりとたこ焼きの軍門に降った。
付け加えるなら妻もたこ焼きが好きだ。
たこ焼きとたこ焼きを掛け合わせたようなDNAなのだから
娘がたこ焼きを嫌いになる理由がそもそも存在しない。
今日の我が家の晩ごはんは、すんなりたこ焼きに決定した。
大将からもらったメモ通りの分量で生地を作る。
大切なのは基礎だ。
だまができないように、粉一つ残らずしっかりかき混ぜる。
ここで滑らかな生地を作らなければいけない。
混ぜる、混ぜる。
妻が。
私はホットプレートの前でじっと待っている。

次はたこだ。
大だこを売りにしている店もあるが、私は小さめが好きだ。
とろーり生地の中の歯ごたえを楽しみたい。
たこを切る。
妻が。
その他薬味を並べる。
妻が。

全てが揃った時、いよいよホットプレートと私に熱が入った。
半分くらい注ぎ、たこを入れる。
外側がはがれるギリギリのタイミングで90度返す。
中の生地が流れ出し、その生地がはがれる、これもギリギリのタイミングでもう90度。
ここまでくれば、後は全体を整えていくだけだ。
ついに、私たちの前に黄金色の球体が現れる瞬間。
口に運ぶ。
美味しい。
店で食べる独特の「とろもち」食感を、少しだけだが再現することができている。
子供たちも箸が止まらない。
最高の時間だった。

最後は洗い物。
食器は少ない。
だが次回の出動に向けて、しっかりプレートを洗う。
念入りに念入りに。
私が。

所変われば

前回のチャーハンに続いて、食べ物の話です。
いやいや今回は手作りの話じゃない。
世の中で広く出まわってる食べ物の話です。
広く食べられているけど、その名は知られていない。
今日はそんなちょっとややこしい話です。

先日、「玉子焼き」を食べてきた。
黄色みがかった生地。
はしでつまむのが難しいくらいのやわらかさです。
それをそーっとだしにくぐらせ、口の中へ。
ふわふわの口当たりと、広がるだしのやさしい味わい。
たこもぷりっとしてます。
美味しい。
次々と手が止まらない。
あっという間に15個食べてしまった。
え?
何の話かというと、これは「玉子焼き」の話です。

兵庫県明石市。
この一帯の地域で「玉子焼き」と呼ばれている名物。
そう、広島や全国的には「明石焼き」と呼ばれる、あれです。
明石焼きはたこ焼きと違い、生地の主な材料は玉子。
玉子をふんだんに使うから、「玉子焼き」なのです。
こういったものは他にもチラホラ耳にする。
例えば「コウネ」。
広島でいうと、焼肉店や鉄板料理店で食べられる、あのうま味たっぷりの牛肉の部位です。
県外からのお客さんと一緒に行くと、非常に喜ばれる。
これは広島でしか食べられていないそうで、ずいぶん珍しがれることからも重宝します。
ところがです。この「コウネ」。
九州・熊本の焼肉店などでうっかり言ってしまうと、
「ウチでは馬刺しは扱ってない」と困惑されることもある。
「コウネ」は馬肉でいうと、タテガミの部分の肉のこと。
馬刺しが名物として食べられている熊本では、全く違う食べ物になってしまうわけです。
所変われば品変わる。
数百年前までは、日本はそれぞれの土地が別の国家で、
行き来することも困難だったことから、
こういったことが生まれたのだろうか。
往来はもちろんのこと、
世界中までもがインターネットでつながる現代のような世界では、
こういったことは起きないんだと思う。
そんな時代ならではの面白さが、食べ物の名前にも息づいています。

さて、広島で「二重焼き」と呼ばれる
あれの全国での呼び方を最後に並べてみようと思う。
大判焼き、今川焼、太鼓焼き、太閤焼き、回転焼き、おやき、あじまん、蜂楽饅頭…。
書ききれないほどありました…。

チャーハンはじめました

男子厨房に入るべからず。
もうこんな言葉使わない時代です。
料理男子や弁当男子なんて言葉もあるくらい。
イケメン男子が小綺麗な弁当箱に、色鮮やかに食材を敷き詰める。
お昼休みにすっと広げ、
周りの女性社員の歓声を浴びながらメニューを交換したりして。
正直なところ、ちょっと憧れます。

私は料理ができません。
その昔、袋入り即席ラーメンを作ろうとした時、
お湯の分量を間違えて、
それはもう白湯みたいな優し過ぎるスープになったことがあるくらいです。
得意料理は白米を炊くこと。胸を張って言います。
そんな私が、です。

チャーハンを作るようになった。
きっかけは子どもです。
食べる量がその日によって大きく変わる長女のため。
もう一つは子どもの世話でいつもバタバタしてる奥さんを少しでも休ませるためです。
最近は便利になりました。
「チャーハン 作り方」
インターネットに打ち込むだけで、たくさんの方法が出てくる。
簡単な方法と思っていたら、同じキーワードがバンバン出てきます。
「パラパラチャーハン 作り方」
お店のようなパラパラが簡単にご自宅で。
魅力的な言葉が踊ります。
とは言っても、どれだけ簡単なんだろう。
こっちは即席ラーメンでトラウマがあるくらいです。
どれどれ…。ボウルにご飯を入れて、
そこにマヨネーズを大さじ1杯。生卵を一つ落とす。
そしてここからがミソ。
今はチャーハンが簡単できるチューブ入り調味料が売っているとか。
それをそのチューブ本体に表示されている分量を加えるだけ。
あとはひたすら、混ぜる。
そうすることによって、
米粒一つ一つが調味料やマヨネーズや卵でコーティングされるわけです。
やってみた。
これはすごい。
ホントにパラパラです。
調味料のおかげで味のバランスも完璧。
お店のチャーハンが自宅での言葉に偽りなしです。
子どもも奥さんも大喜びしてます。
普段やらないお父さんがっていうスパイスも効いてる。
やってよかった。
得意料理白米に、この度チャーハンが加わりました。
ただあれです、一つ問題があったことに気付いた。
私は食材を切るということができない。
今回もベーコンなんかは奥さんに切ってもらった。
結局休ませられなかったと皿洗いをしながら反省中です。

〇〇探し

才能って何だろうと思う。
特に親になってから真剣です。
あの道があるかも、いやこの道かも。
現実的な話、これなら一生食っていけるとか、あるいはこれは稼げないとか。
子供だけじゃない、自分もこれから見つかる才能がまだあるかもなんてことも考えます。
実際こういう仕事をしていると、
50歳にして初めてアーチェリーにのめり込み、
いつの間にか世界大会に行ってしまった主婦とか、
定年退職後始めた趣味のモノづくりが評判を呼びネット販売で財を成したとか、
可能性は年齢ではないという人たちによく出会います。
ただ、あれです。
才能に溢れる人ならまだしも、
多くの人が自分の才能に気づくのは、やはり運です。
だからこそ親は子にいろんなことをさせたくなりますし、
つい「この子天才!才能ある!」という具合に盛り上がったりするのかもしれません。
「十で神童 十五で才子 二十過ぎれば只の人」とはよく言ったもので。
気をつけないといけないと改めて書きながら思います。

ただもう一つ、才能うんぬんではなく、
褒められて夢中になった経験というのも誰しも一つ二つあるはずです。
子供の頃、小学校に入ってすぐぐらいだっただろうか。
絵を描きました。
どんな絵か今でもはっきり覚えてます。
夜空を飛ぶ機関車。ひっぱる客車も色とりどりです。
大きな月と満天の星空。地上にも家をたくさん描いた。
人はあえて描きませんでした。子供心に、現実とは離れた世界を表現したかったんだろうと思う。

すごく褒められた。
学校の先生、両親。
記憶の中では初めての経験だったと思います。
それからです。
絵を描くのが好きになった。
そしてこれが大事なのかもしれない。
「絵が得意な気」になっていました。
その後、これが才能という現実なのか、
絵を描くことで稼げるほどまではいかなかったけれど、
学校の美術の成績はそこそこをキープしながら大人になりました。
今は子供に描いてあげると「上手上手」と喜ばれる。
大人になっても一応まだ褒められてます。

「才能探し」は大事だと思う。
でももう一つ、ただ褒めるという「良い所探し」ってもっと大事なんじゃないかと思う、
後輩の結婚にあたってスピーチを求められた今日この頃です。
おめでとさん。
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「ワイハ」に行ってきたと言うと、仕事で行った感がまるでなくなる

カープ優勝旅行に同行してきた。
25年ぶりの優勝旅行。
取材とはいえ行かせてもらってホントにありがたい経験になりました。
12月1日。
広島から成田経由でホノルル空港へ向かいます。
日本を夕方6時過ぎにでて約7時間で、ハワイは12月1日の朝7時前。
なんと。
今年2回目の12月1日を過ごすことになってしまいました。
ホノルル空港の税関はものすごい行列です。
何百人いるんだろう。
蛇行するような列が続いてる先に税関カウンターがあるんですが、
やはりハワイの人はのんびりしてる。
5つぐらいのカウンターがあるのに職員は2人。
なかなか先に進みません。
さすがに1時間くらいたった後に職員が1人増え、2人増え…。
2時間くらい待ってようやくカウンターに着きました。
職員がパスポート見て驚いてる。
「同じ!同じ!」と英語で言ってます。
彼のネームプレートを見ると「MORI」。
こんな偶然があるもんです。
入国書類を見てまたさらに驚いてる。
「Video Journalist」という職業にテンションが上がっているようです。
「お前!ビデオジャーナリストってことはマイク持ってカメラの前でしゃべるのか!?スゴいな!!」
という感じのことを、英語でまくしたててます。
後ろに並んでる皆さんに申し訳ないなと思いつつも
税関職員のMORIさんと談笑し、いよいよ空港の外へ。
私自身、ハワイ初上陸です。
暖かい。汗をかくほどではなく、カラっとしてる。
ハワイは全てそうらしいけど、
虹があしらわれたナンバープレートが付いた車で宿泊先のホテルへと走ります。
体は深夜3時くらい。
しかしここはもう少しで昼。
シャワーを浴びて1時間ほど仮眠をとれば、あっという間に昼食の時間になります。
取材の前の下見がてらスタッフと一緒に適当な店に入りました。
テラス席もある小洒落たカフェ。
アメリカンサイズのボリュームに少し苦戦しながら、皆それぞれハワイの空気を感じてます。
量も多めなら、値段も高め。
さらにはチップ文化のハワイ、
会計の紙の下の方に15%いくら、18%いくら、20%いくらと書いてある。
チップの値段まで教えてくれる親切設定です。少し高いけどね。
そんなハワイでの選手たちの素顔、
先日「金ぶち」でも放送しましたが、またやります。
新春1月8日夜の元気丸SPです。
ぜひ。

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第五回広テレ落語会

「平成落語ブーム」だそうです。
いやこれまでもあった。
ここ10年くらいでいうと、テレビドラマの影響での小さな落語ブーム。
「あれはホントなんですかね。私のところには全然こない」
なんて話す落語家さんもよくいたものです。
それくらい短く小さなブームでした。
現在はその落語家の数もなんと約800人。
これは江戸期以降、過去最多の数だそうです。
しかもこのブーム、若い人たちから火がついた。
テレビはもちろん女性向けファッション誌や最新のトレンド誌、
ビジネス誌などでも特集されてます。

三連休の最終日、新宿にある末廣亭に行ってみた。
伊勢丹や丸井がある新宿三丁目交差点から一本裏手へ。
ビル街の中に歴史ある佇まいの建物が急に現れる。
明治30年の創業で、戦火で消失したものの昭和21年に再建された。
狭い意味での定席の寄席は都内に4つ。
年中毎日落語をやってます。うち一つがここ新宿末廣亭というわけです。
昼の部は12時から。
入ってみると…
ほぼ満席じゃないか。
若い女性の3人組、
観光客らしきご夫婦、
おばあちゃんと孫2人という組み合わせも。
素敵な休日の過ごし方だと思う。
大学生くらいのカップルもいます。
1時間くらいたつと、立ち見が出るほどの大盛況。
なるほど。
落語ブーム、おそるべしです。

ではなぜこの時代に落語なんだろう。
落語では、デキる人はあまり主人公にならない。
どちらかというと失敗ばかりする人たちが主人公になります。
そしてまわりの人たちはその失敗を笑い飛ばし、
あたたかく受け止めてくれる。
失敗とか、弱さとか、人間の欲とか。
そういったものを許してくれる世界に、
現代人は「癒し」を感じるのかもしれません。
さらに落語は想像の話芸。
座布団の上に座る噺家の言葉と身ぶりだけで情景を浮かべる。
その余韻とか、見る人に任されたある意味の「ゆとり」が、
特に若い人たちにうけてる理由なんだとか。

さて、それではお知らせです。
「その平成落語ブームの前」から始めた広テレ落語会も5回目。
またやります。今回は新人に加えゲストも登場。
12月17日エディオン本店本館8階、エディオンスタジオ紙屋町にて。
チケット申し込みはhtvrakugo@gmail.comまで。
出演者情報など詳しくはこちらのフェイスブックページでご確認下さい。
https://www.facebook.com/htvrakugo/

送り出す

「球団史上〇〇年ぶり」今シーズン何度も聞いた言葉です。
9月24日。今シーズン何度目かの新記録がまた生まれました。
「主催試合入場者数212万5548人」。
2年連続での球団新記録更新です。
連日スタンドが真っ赤に染まる。
特にここ数年…CSに初めて行った翌年くらいからだろうか。チケットの入手が難しくなりました。
マツダスタジアムらしいユニークな席だけじゃない。
いわゆる「普通の席」もいっぱいになっていきました。
今年は6月の終わりだったと思う。
今季のマツダスタジアムでのチケットがほとんど売り切れになっていました。
思えば10年前、年間入場者数は100万人を越えるか越えないかぐらい。
2000年代の初めの頃はその100万人を割る時期もありました。

空席の目立つ広島市民球場。
実際数えられるくらいの人数しかいない2階席、
その中でもホームベースの真後ろ付近は、私たち若手アナの実況練習の場所でした。
その頃ある選手が言ってました。
「満員のスタンドの中で野球がしてみたい」。
野村謙二郎前カープ監督は引退セレモニーの中で、
「野球は楽しいぞ!いいもんだぞ!」
子供たちにこう呼びかけました。
折しも野球人気低迷、球界再編の時期。
ホントに広島からカープがなくなるかと思いました。
大昔の話じゃない。
たかだか10年ほど前の話です−。

そしてこの10年。球団も努力した。
一度波が来た新球場ブームにあぐらをかくことなく様々なアイデアを打ち出し、
グッズを揃え、日本一のボールパークを作ってみせました。
チームは強くなった。
この苦しい時期を支えた選手たちが土壌を作り、よく育ち、実りました。
努力は報われるとは限らないけど、成功の陰には努力がある。
この10年の努力に、時代の追い風がうまく交わったのが今なんだと思います。
「すごいスタンドだった。大観衆が応援してくれる感じ、うれしかった」
9月25日、満員のスタンドで野球がしたいと言っていたあの選手の言葉です。
倉義和。
夢が叶いました。
何の因果か、この日は雨天ノーゲーム。
ただポジティブに考えれば、
倉・広瀬両選手を真っ赤なスタンドで送り出せるチャンスがもう一度やってくることになる。
さぁ10月1日ペナントレース今季最終戦です。

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一周人生

夏になると一周したくなります。
〇〇一周。
と言っても、いろんな一周がある。保育園の頃…はっきりと覚えてます。
夕方になると園庭を一周してました。友達と二人。何をするわけでもない。
何が楽しかったのか、二人でぐるぐる走る。
ただ走るだけです。
大学生になった時は九州一周もやった。
めちゃめちゃ忙しかったバイトが一週間休みになった。
こんなチャンスない。
友人と二人、車で福岡を出発して西回りルート。
名所を巡りながら、風呂は銭湯で済ませ車中泊やテントを張ってまわりました。
鹿児島県の佐多岬の入り口付近にテントを張り、
「九州最南端キャンプだ!」とか言ったのもいい思い出です。

そんな「一周人生」の中でも、最も大きな一周。
列車でまわった日本一周です。
日本といっても、福岡から本州をまわって札幌まで。
青春18きっぷを使いました。
この切符、日本全国どのJR線でも普通と快速列車に乗れる。
しかも一日乗り放題。横長の切符で一枚が5回分です。
つまり一枚で5人乗ってもいいし、一人で5回乗ってもいい。
名前が紛らわしくて実際に問い合わせも多いと聞くが、
別に18歳以下の限定切符でもなく、年齢に関わらず誰も利用できる。
これを2枚買って合計で10回分。
すると10日以内に一周すればいい計算になります。

その日の内にどこまで行くか。
一番大事なのはここです。
何しろ普通と快速にしか乗れない。
下手なところで止まってしまえば、電車が動き出す始発まで、
何もない駅でただひたすら待つことにもなりかねない。
時刻表とにらみ合い、ふせんを貼りつつ、
この日はここまで。時間が足りないからこの日は夜行で夜も移動。
必死に頭の中でシュミレーションします。
そうそう、夜行は夜行であって寝台ではありません。
あくまでも「普通列車」。寝るとこなんてない。
普通の座席でなんとか工夫して寝ます。
そうだ、時間に余裕があればローカル線に乗るのもいい。
山岳路線や海が見える路線もたくさんあります。
青春18きっぷ。
期間限定の切符です。
今は夏季だから8月31日までの販売で、利用期間は7月20日から9月10日。
移動するということ、そのものを楽しむ。
そんなのんびりした世界がその先に広がっているはずです。

30年経てば

はじまりはライオンズ。
当時の福岡では自然の流れだと思います。
親父が根っからのライオンズファン。
いい時も悪い時も、ライオンズと共に生きた。
「稲尾と言うな稲尾様と言え」こういう人がたくさんいました。
そのライオンズは私が生まれて約2週間後に、福岡の球団から埼玉の球団になりました。
平和台球場に行けるのは年に数回。テレビでもあまりやってない。
プロ野球を体感するのはもっぱら「ラジオ」でした。
夕食時は黒い小さなラジオが食卓に置かれたものです。
そんな少年時代だからテレビで見たプロ野球の映像というのは鮮明に覚えている。

1986年の日本シリーズ初戦。土曜日でした。
学校は4時間目で終わる。掃除をして、帰りの会を終わらせて。
さぁ急いで帰ろうとしたその時、担任の先生が言いました。

「みんなで日本シリーズを見よう」

粋な計らいです。今は…こういうのダメなんだろうか。
まぁとにかく、教室の黒板左に置かれていたテレビに広島市民球場が映し出された。
野球をテレビで見るのも少なければ、学校で見るなんてありえない。心躍りました。
試合は2対0で迎えた9回のマウンドに先発東尾。
完封かと思っていたその時、ホームランを浴びた。
小早川、山本浩二の2者連続ホームラン。
特に東尾と山本浩二の対決は今も語り継がれます。
結局試合は延長戦の末、引き分けに終わりました。
そしてこの年。日本シリーズが史上唯一、第8戦までもつれこんだのです。

そこからです。
カープというチームが気になった。
投手がいい。スピード感があり小技もうまい。
ほとんどが接戦だったあのシリーズを見ていく間に、
赤ヘル野球の魅力に引き込まれていきました。
もちろんテレビでもラジオでも、カープに触れる機会はほぼない。
ほんの少しのスポーツニュースで知る。
新聞での扱いも小さかった。
そうそう、電話で結果を聞いていたこともある。
アルバイト先でカープファンが休憩時間に集まり、神宮テレフォンサービスにかけた。
東京03だったから、バイト先の電話を使いました。ごめんなさい。
インターネットもまだ普及していなかったあの頃です。

1986年日本シリーズ初戦。
その日の放送を調べてみた。
中継局は広島テレビ。
そして解説陣には池谷公二郎さん。
先生。
あの日学校で日本シリーズを見せた生徒は、
あの日の放送をしたテレビ局に入り、
あの日の解説者と一緒に放送席に座っています。