月別アーカイブ: 2016年1月

赤き番号を胸に抱き、青き袖に腕を通す

その男を初めて見たのは、録画していた甲子園のダイジェスト番組でした。
熱闘○○○です。1回戦で敗退したからそんなに長い尺じゃなかった。
でも、背番号11を背負った1年生の、
そのきれいなフォームと投げっぷりは印象に残っていました。
センバツで甲子園に帰ってきた時は3年生。
相変わらずきれいなフォームだったけど球速が違う。
140キロ越えてました。
夏も楽しみにしていたけど、
彼は高校生活の中で甲子園に戻ってくることはありませんでした。

そうこうしていたらどうだろう。
1位指名された。
ドラフトの目玉は田中将大。
そうです。当時「ハンカチ世代」と言われた年代。
夏甲子園が大変な盛り上がりを見せた年だったせいか、
彼は全国的にものすごく大きく注目されることはなく、ドラ1で入団してきました。
その時に聞いた話を覚えてる。

「まぁ、甲子園も何も、プロ野球選手になることが目標だったんで」

甲子園決勝が再試合の年。
注目されてプロ入りする準優勝投手と、進学の選択をした優勝投手。
あのフィーバーの中、プロでは負けないという強い意志を感じた言葉でした。

取材で実家にお邪魔した。
子どもの頃、おやつ代わりにポリ袋に入れたイリコを持ち歩いていたと聞いた。
いい育ちしてる。一方で近所の駄菓子屋も好きだった。
菓子好きはプロ入り後もしばらく続いていました。
忠岡ボーイズ時代、練習終わって家に帰った後、近くの公園を走らされた。
ずっとオカンが見てる。
夜の闇が公園を包む中で走り続けたことが、
後の大活躍を生むことになったのは結果が証明してます。
そうそう、東出輝裕コーチが現役時代に言っていました。
「どっちが上とかいう話じゃないんだけど、
 ピッチャーには、ピッチャーしかできないヤツと、
 いろいろできる中でピッチャーを選んだヤツの2種類がいる」
なるほど分かりやすかった。
名門PL学園で4番も打ったこのピッチャーは間違いなく後者です。

ついに海を渡る。
大丈夫。きっとやれる。
まわりが何と言おうと、まわりが少し先に進もうと、少し後からついてこようと、
その男は自分のペースを守り、そして負けてこなかった。
広島での会見をみんな忘れない。
胸にカラーリングされた番号は運命の赤色。
ドジャーブルーの18番が新しい扉を開ける。