第五回広テレ落語会

「平成落語ブーム」だそうです。
いやこれまでもあった。
ここ10年くらいでいうと、テレビドラマの影響での小さな落語ブーム。
「あれはホントなんですかね。私のところには全然こない」
なんて話す落語家さんもよくいたものです。
それくらい短く小さなブームでした。
現在はその落語家の数もなんと約800人。
これは江戸期以降、過去最多の数だそうです。
しかもこのブーム、若い人たちから火がついた。
テレビはもちろん女性向けファッション誌や最新のトレンド誌、
ビジネス誌などでも特集されてます。

三連休の最終日、新宿にある末廣亭に行ってみた。
伊勢丹や丸井がある新宿三丁目交差点から一本裏手へ。
ビル街の中に歴史ある佇まいの建物が急に現れる。
明治30年の創業で、戦火で消失したものの昭和21年に再建された。
狭い意味での定席の寄席は都内に4つ。
年中毎日落語をやってます。うち一つがここ新宿末廣亭というわけです。
昼の部は12時から。
入ってみると…
ほぼ満席じゃないか。
若い女性の3人組、
観光客らしきご夫婦、
おばあちゃんと孫2人という組み合わせも。
素敵な休日の過ごし方だと思う。
大学生くらいのカップルもいます。
1時間くらいたつと、立ち見が出るほどの大盛況。
なるほど。
落語ブーム、おそるべしです。

ではなぜこの時代に落語なんだろう。
落語では、デキる人はあまり主人公にならない。
どちらかというと失敗ばかりする人たちが主人公になります。
そしてまわりの人たちはその失敗を笑い飛ばし、
あたたかく受け止めてくれる。
失敗とか、弱さとか、人間の欲とか。
そういったものを許してくれる世界に、
現代人は「癒し」を感じるのかもしれません。
さらに落語は想像の話芸。
座布団の上に座る噺家の言葉と身ぶりだけで情景を浮かべる。
その余韻とか、見る人に任されたある意味の「ゆとり」が、
特に若い人たちにうけてる理由なんだとか。

さて、それではお知らせです。
「その平成落語ブームの前」から始めた広テレ落語会も5回目。
またやります。今回は新人に加えゲストも登場。
12月17日エディオン本店本館8階、エディオンスタジオ紙屋町にて。
チケット申し込みはhtvrakugo@gmail.comまで。
出演者情報など詳しくはこちらのフェイスブックページでご確認下さい。
https://www.facebook.com/htvrakugo/

送り出す

「球団史上〇〇年ぶり」今シーズン何度も聞いた言葉です。
9月24日。今シーズン何度目かの新記録がまた生まれました。
「主催試合入場者数212万5548人」。
2年連続での球団新記録更新です。
連日スタンドが真っ赤に染まる。
特にここ数年…CSに初めて行った翌年くらいからだろうか。チケットの入手が難しくなりました。
マツダスタジアムらしいユニークな席だけじゃない。
いわゆる「普通の席」もいっぱいになっていきました。
今年は6月の終わりだったと思う。
今季のマツダスタジアムでのチケットがほとんど売り切れになっていました。
思えば10年前、年間入場者数は100万人を越えるか越えないかぐらい。
2000年代の初めの頃はその100万人を割る時期もありました。

空席の目立つ広島市民球場。
実際数えられるくらいの人数しかいない2階席、
その中でもホームベースの真後ろ付近は、私たち若手アナの実況練習の場所でした。
その頃ある選手が言ってました。
「満員のスタンドの中で野球がしてみたい」。
野村謙二郎前カープ監督は引退セレモニーの中で、
「野球は楽しいぞ!いいもんだぞ!」
子供たちにこう呼びかけました。
折しも野球人気低迷、球界再編の時期。
ホントに広島からカープがなくなるかと思いました。
大昔の話じゃない。
たかだか10年ほど前の話です−。

そしてこの10年。球団も努力した。
一度波が来た新球場ブームにあぐらをかくことなく様々なアイデアを打ち出し、
グッズを揃え、日本一のボールパークを作ってみせました。
チームは強くなった。
この苦しい時期を支えた選手たちが土壌を作り、よく育ち、実りました。
努力は報われるとは限らないけど、成功の陰には努力がある。
この10年の努力に、時代の追い風がうまく交わったのが今なんだと思います。
「すごいスタンドだった。大観衆が応援してくれる感じ、うれしかった」
9月25日、満員のスタンドで野球がしたいと言っていたあの選手の言葉です。
倉義和。
夢が叶いました。
何の因果か、この日は雨天ノーゲーム。
ただポジティブに考えれば、
倉・広瀬両選手を真っ赤なスタンドで送り出せるチャンスがもう一度やってくることになる。
さぁ10月1日ペナントレース今季最終戦です。

IMG_5644

一周人生

夏になると一周したくなります。
〇〇一周。
と言っても、いろんな一周がある。保育園の頃…はっきりと覚えてます。
夕方になると園庭を一周してました。友達と二人。何をするわけでもない。
何が楽しかったのか、二人でぐるぐる走る。
ただ走るだけです。
大学生になった時は九州一周もやった。
めちゃめちゃ忙しかったバイトが一週間休みになった。
こんなチャンスない。
友人と二人、車で福岡を出発して西回りルート。
名所を巡りながら、風呂は銭湯で済ませ車中泊やテントを張ってまわりました。
鹿児島県の佐多岬の入り口付近にテントを張り、
「九州最南端キャンプだ!」とか言ったのもいい思い出です。

そんな「一周人生」の中でも、最も大きな一周。
列車でまわった日本一周です。
日本といっても、福岡から本州をまわって札幌まで。
青春18きっぷを使いました。
この切符、日本全国どのJR線でも普通と快速列車に乗れる。
しかも一日乗り放題。横長の切符で一枚が5回分です。
つまり一枚で5人乗ってもいいし、一人で5回乗ってもいい。
名前が紛らわしくて実際に問い合わせも多いと聞くが、
別に18歳以下の限定切符でもなく、年齢に関わらず誰も利用できる。
これを2枚買って合計で10回分。
すると10日以内に一周すればいい計算になります。

その日の内にどこまで行くか。
一番大事なのはここです。
何しろ普通と快速にしか乗れない。
下手なところで止まってしまえば、電車が動き出す始発まで、
何もない駅でただひたすら待つことにもなりかねない。
時刻表とにらみ合い、ふせんを貼りつつ、
この日はここまで。時間が足りないからこの日は夜行で夜も移動。
必死に頭の中でシュミレーションします。
そうそう、夜行は夜行であって寝台ではありません。
あくまでも「普通列車」。寝るとこなんてない。
普通の座席でなんとか工夫して寝ます。
そうだ、時間に余裕があればローカル線に乗るのもいい。
山岳路線や海が見える路線もたくさんあります。
青春18きっぷ。
期間限定の切符です。
今は夏季だから8月31日までの販売で、利用期間は7月20日から9月10日。
移動するということ、そのものを楽しむ。
そんなのんびりした世界がその先に広がっているはずです。

30年経てば

はじまりはライオンズ。
当時の福岡では自然の流れだと思います。
親父が根っからのライオンズファン。
いい時も悪い時も、ライオンズと共に生きた。
「稲尾と言うな稲尾様と言え」こういう人がたくさんいました。
そのライオンズは私が生まれて約2週間後に、福岡の球団から埼玉の球団になりました。
平和台球場に行けるのは年に数回。テレビでもあまりやってない。
プロ野球を体感するのはもっぱら「ラジオ」でした。
夕食時は黒い小さなラジオが食卓に置かれたものです。
そんな少年時代だからテレビで見たプロ野球の映像というのは鮮明に覚えている。

1986年の日本シリーズ初戦。土曜日でした。
学校は4時間目で終わる。掃除をして、帰りの会を終わらせて。
さぁ急いで帰ろうとしたその時、担任の先生が言いました。

「みんなで日本シリーズを見よう」

粋な計らいです。今は…こういうのダメなんだろうか。
まぁとにかく、教室の黒板左に置かれていたテレビに広島市民球場が映し出された。
野球をテレビで見るのも少なければ、学校で見るなんてありえない。心躍りました。
試合は2対0で迎えた9回のマウンドに先発東尾。
完封かと思っていたその時、ホームランを浴びた。
小早川、山本浩二の2者連続ホームラン。
特に東尾と山本浩二の対決は今も語り継がれます。
結局試合は延長戦の末、引き分けに終わりました。
そしてこの年。日本シリーズが史上唯一、第8戦までもつれこんだのです。

そこからです。
カープというチームが気になった。
投手がいい。スピード感があり小技もうまい。
ほとんどが接戦だったあのシリーズを見ていく間に、
赤ヘル野球の魅力に引き込まれていきました。
もちろんテレビでもラジオでも、カープに触れる機会はほぼない。
ほんの少しのスポーツニュースで知る。
新聞での扱いも小さかった。
そうそう、電話で結果を聞いていたこともある。
アルバイト先でカープファンが休憩時間に集まり、神宮テレフォンサービスにかけた。
東京03だったから、バイト先の電話を使いました。ごめんなさい。
インターネットもまだ普及していなかったあの頃です。

1986年日本シリーズ初戦。
その日の放送を調べてみた。
中継局は広島テレビ。
そして解説陣には池谷公二郎さん。
先生。
あの日学校で日本シリーズを見せた生徒は、
あの日の放送をしたテレビ局に入り、
あの日の解説者と一緒に放送席に座っています。

舞台「パンチ♪ライン」

「今日は暑いなぁ」
真っ直ぐ歩き出し、若夫婦の横を通り過ぎながらこの台詞を言う。
可愛がっている部下を冷やかすように微笑み、そして去っていく。
この間約8秒。
私が人生で初めて「役者」としてテレビに出た瞬間でした。

終戦記念ドラマとして
日本テレビ系列で2011年に放送された「この世界の片隅に」。
広島でもロケが行われ、告知も兼ねて出演することになったわけです。
若夫婦役は北川景子と小出恵介さん。
二人と同じ部屋でメイクをしてもらい、
撮影直前の俳優さんたちをまさに目前で見たあの光景は忘れもしない。
静と動、緊張と緩和。
スイッチが切り替わる。
さっきまで北川景子さんと小出恵介さんだった二人は、
カメラの前に立つ直前、たしかに若夫婦になったのでした。
海軍将校役として丸めた頭に汗が噴き出る。
カメラの前というのは同じとはいえ、全く違う世界が目の前に広がったのでした。
「これは自分が関わる世界じゃないな。」
そう思ったあの日から5年。
5年がたってまた…懲りずに芝居やります。

今度は舞台。
タレント中島尚樹氏が主宰する劇団マージブルの舞台
「パンチ♪ライン」に出演することが決まりました。
やるのは落語家役。
そう、今回は「広テレ落語会」と「劇団マージブル」のコラボなのです。
これまで度々登場している広テレ落語会。
広島テレビのアナウンサーで立ち上げた落語会です。
これまで、特に落語を聞いたことがない人達に
落語の楽しさを知ってもらおうと活動を続けてきました。
その会が新たな一歩を踏み出します。

舞台はある落語家一門。
廃業寸前の一門に巻き起こる事件、そして数奇な運命…。
出演する本人が言うのもなんですが、面白い。
中島氏が作演出し、ウチの師匠秋風亭てい朝が監修してます。
舞台の途中におもむろに落語が始まる。
ここは私たち落語会のウデの見せ所です。

5月28日、29日、6月11日、12日の4日間。
いずれも午後1時からと、午後4時半からの2回公演です。
場所は広島市のエディオン広島本店本館8階のエディオンスタジオ紙屋町。
お問い合わせはエディオン広島本店プレイガイド(082)247-5111、
チケットぴあ0570(02)9999・Pコード450-596まで。
どうぞよろしくお願いいたします。

IMG_4965

職人であるのは変わらない

懐かしい。と言っても37歳の、それくらいの懐かしさです。
小学生の頃、校門の前におじさんが来てた。
隣では黒い筒状の機械がぐるぐる回ってる。
金網でできた四角い箱もありました。
おもむろにおじさんが機械を止めた。右手には金属の棒。
リズミカルにカンっ、カンっと叩く。
その瞬間…

「ボンっ!!」

子供には刺激が強すぎます。
心臓が飛び出るくらいの爆音。当然、機械が壊れたかと思った。
そしたら煙と一緒に広がったのは…、
甘い匂いでした。
金網の箱に収まった小さな粒を子供たちに少しずつ渡していきます。
…美味しい。その甘さに驚いた。
おじさんが言います。
お米を持って来れば、この甘い粒に変えてくれるという。
ダッシュでお米を取りに家へと急ぎました。一回300円だったか…。
そう、「ポン菓子」です。

取材で行った東広島市黒瀬町にポン菓子の職人がいた。
移動しての実演販売のカタチは今も変わらない。懐かしい風景です。
昔のようにおじさんが運んで…いや違う。
お姉さんです。
「この音慣れないんですよ、怖くて。」
首からかけているのは、おしゃれな耳栓。
ふむ、味はさすがに変わらないはず…
「これはキャラメルバナナですね。こっちはレーズンとシナモンです。
酒粕なんてのもありますよ」
ポン菓子の常識がどんどん覆っていきます。
もちろん懐かしのポン菓子もある。
地元東広島のお米を使ったポン菓子をたくさん食べてもらいたい。
思いはそこにある。
加えて女性ならではのアイデアと工夫。
進化系ポン菓子はそうして出来上がっていったそうです。

そうそう。気になるあの機械。
「穀類膨張機」という。
その名の通り、穀物ならなんでもポン菓子になる。
「大豆は人気ですね。トウモロコシはそのままポップコーンになります」確かに。
米以外のポン菓子も食べたくて、マカロニポン菓子をもらった。
軽いサクサクの食感。シナモンパウダーが効いてる。
失敗はないのか聞いてみた。
「シイタケはダメでした。匂いがきつくて…」
笑いながら話す姿はまるでカフェのお姉さんのよう。
けれど、その手が作り出す物は人を笑顔にする。幼心に憧れたポン菓子職人。
その変わらない姿が黒瀬にありました。
やっぱり…懐かしい味です。

00000002
00000001 (2)

別にたくさんもらえなかったからではなく

これを書いているのは2月14日。バレンタインデーです。
一般的には女性が男性にチョコレートを贈る。
「日本型バレンタインデー」と言われるそうです。
この習慣、賛否両論ある。
本来の意義とは違うとか、義理チョコによる金銭的負担だとか、
女性から男性にというのがセクハラにあたるとか、まぁ調べれば出てくる出てくる。
個人的な感覚だと、これは無粋ってやつです。
一年の定期イベント。
せっかくだから楽しめばいい。
バレンタイン商戦というくらいだから、景気にもいい。
難しいこと考えずにお祭りとして…
いや、ちょっとまて。
これはもらう側の立場だからなのかもしれない。
ちょっと贈る側に立って想像してみよう。

別に好意はない。
感謝の気持ちも特別にはない。
ただ同じ職場で働いているだけ。
態度もあまりよくない。
むしろどっちかというと嫌い。
でもこの人だけ渡さないのもちょっと。
仕方ないなぁ。
よし、今回は手作りだから、耳アカの一つもいれてやろうか。

いやなんとも…恐ろしい。
今年のバレンタインが、義理チョコが減るといわれる日曜日で本当に良かったと思う。
今後職場で嫌われることは絶対に避けよう。耳アカを食べることがありませんように。

うん…これは確かにやめたほうがいいイベントなのかもしれません。
果たして、そんな影響があるのかないのか、
最近は友達で贈りあう「友チョコ」とか、
頑張っている自分にちょっと贅沢な「ご褒美チョコ」とか、ずいぶんと変化してきてるようです。
時代によって形を変える。
その時々の世相、社会の雰囲気もある。
なるほど。我々が心配するよりもっと、
世の女性たちは「楽しむ」ということに関して、才能やアイデアに溢れてるわけです。

と、いうことで。
我が家でも母娘がチョコレートケーキ作りに奮闘してます。
チョコレートは特別な日にしか食べられないというルールで生きている娘にとって、
今日はとんでもなく特別な日です。
目の前に置かれた大量の溶かしたチョコレートを口に運びつつ、
父と弟にあげるという名目で完成させたケーキ。
私はほとんど口にすることなく、全て娘が食べてしまっています。
そうか。
やはりバレンタインは、「女性が楽しめる」のが一番なのです。

赤き番号を胸に抱き、青き袖に腕を通す

その男を初めて見たのは、録画していた甲子園のダイジェスト番組でした。
熱闘○○○です。1回戦で敗退したからそんなに長い尺じゃなかった。
でも、背番号11を背負った1年生の、
そのきれいなフォームと投げっぷりは印象に残っていました。
センバツで甲子園に帰ってきた時は3年生。
相変わらずきれいなフォームだったけど球速が違う。
140キロ越えてました。
夏も楽しみにしていたけど、
彼は高校生活の中で甲子園に戻ってくることはありませんでした。

そうこうしていたらどうだろう。
1位指名された。
ドラフトの目玉は田中将大。
そうです。当時「ハンカチ世代」と言われた年代。
夏甲子園が大変な盛り上がりを見せた年だったせいか、
彼は全国的にものすごく大きく注目されることはなく、ドラ1で入団してきました。
その時に聞いた話を覚えてる。

「まぁ、甲子園も何も、プロ野球選手になることが目標だったんで」

甲子園決勝が再試合の年。
注目されてプロ入りする準優勝投手と、進学の選択をした優勝投手。
あのフィーバーの中、プロでは負けないという強い意志を感じた言葉でした。

取材で実家にお邪魔した。
子どもの頃、おやつ代わりにポリ袋に入れたイリコを持ち歩いていたと聞いた。
いい育ちしてる。一方で近所の駄菓子屋も好きだった。
菓子好きはプロ入り後もしばらく続いていました。
忠岡ボーイズ時代、練習終わって家に帰った後、近くの公園を走らされた。
ずっとオカンが見てる。
夜の闇が公園を包む中で走り続けたことが、
後の大活躍を生むことになったのは結果が証明してます。
そうそう、東出輝裕コーチが現役時代に言っていました。
「どっちが上とかいう話じゃないんだけど、
 ピッチャーには、ピッチャーしかできないヤツと、
 いろいろできる中でピッチャーを選んだヤツの2種類がいる」
なるほど分かりやすかった。
名門PL学園で4番も打ったこのピッチャーは間違いなく後者です。

ついに海を渡る。
大丈夫。きっとやれる。
まわりが何と言おうと、まわりが少し先に進もうと、少し後からついてこようと、
その男は自分のペースを守り、そして負けてこなかった。
広島での会見をみんな忘れない。
胸にカラーリングされた番号は運命の赤色。
ドジャーブルーの18番が新しい扉を開ける。

最強へのスタートライン

我が家には一枚のジグソーパズルが飾ってある。
2008.9.23 J.LEAGUE DIVISION2 第37節「THANKS FOR ALL」
サンフレッチェ広島が舞台をJ2に移した2度目のシーズン。
圧倒的強さをもって昇格を決めた年です。
それまでJ1の中位付近に低迷し、
正直全国で注目されるようなクラブとはいえなかった時代。
そんなクラブが生まれ変わろうとしていたまさに過渡期の、まさかの降格でした。
当時異例ともいえる降格クラブにおける監督の続投。
降格が決まった試合後、スタンドに向けて叫んだエースの言葉。
「絶対1年で戻るから!サポートお願いします!」
あれは心動かされた。
そう、あれは来季に向けての全選手で最も早い残留表明でした。

迎えた2008年の戦いは他を圧倒。
「全節首位」「9月優勝決定」「勝ち点100」。
思えばJ2とはいえ、サンフレは、いや我々メディア・サポーターも、
勝ち方・そして勝者のメンタリティというものがおぼろげながら見えてきた年だったと思う。
目指すサッカーの大枠がはっきりしてきた2008年。
個人的にはあの苦難の年が、4年で3度の優勝という成熟したチャンピオンチームの、
まさにスタート地点だったのではないかと思うのです。
変わらないメンバーがいる中で、毎年のように主力がいなくなる。
一方で「このクラブで優勝したい」と新たな力も入ってくる。
それはあの年から形作られていった大きな幹が、
とても魅力的なサッカーを見せているから。
このクラブのサッカーが変わらないことを皆が分かっているからだと思うのです。

そういえばこの年は、J2シーズンを戦ったサンフレッチェと共に、
私自身も全国のJ2クラブのスタジアムに足を運んだ年になりました。
資金力に苦しむクラブが、空席の目立つスタジアムで戦い、
相手以上に集客といった運営に苦戦する姿を見てきた。
理由は多々あったんだと思う。
老朽化、立地、クラブの人気…。
思うにあれは悪循環です。
クラブの人気が先か、スタジアムが先か。順番は分からない。
でも何かが一つ変われば、循環は良い方向に変わっていく。
私のような素人はそう思ってしまうのです。
サンフレは…どうだろう。
立派なスタジアムができる循環は、
もう遅すぎるくらい始まっているような気がするんだけれども。

さ、次は世界の舞台クラブワールドカップです。

IMG_4434

誰もが通る道ではない

テレビで野球を観ています。

「カープが見たいねぇ」

娘が言ってます。
うん、父ちゃんもそう思うわ。

2015年10月7日。
カープの今シーズンが終わりました。
勝てば3位、負ければ4位。143試合の積み重ねとはいえ、
この1戦をそんなに重くするなんて。野球の神様はやはり「勝負師」です。

この試合、その神様が大きな試練を与えた男がいた。
ベンチで涙が頬をつたう映像はその日のニュースに何度も流れた。
あの場面で涙を流してしまったことの賛否の話じゃない。
とにかくあの日、わずか8球で彼は敗戦投手になり、チームのシーズンが終わったのです。

…0対0の8回、彼はマウンドに上がる前に最初の試練を受けていました。
前田健太の降板がアナウンスされ、背番号14の姿が見えた時、
球場は声援だけではなかった。
ざわつき、どよめき。
以前ある選手は言っていました。

「あの感じは声援よりも大きく聞こえる。
何くそと力に変えられるヤツと、自分が信じられなくなるヤツがいる」

この時の彼がその声をどう感じたかはまだ聞いていません。
ただ、それから数分のち、
ざわつきを歓声に変えられないままマウンドを降りました。
温かい拍手もむけられた。
けど、厳しい叱咤も飛んだ。
そりゃプロの世界です。万全でなくても、結果に対して正直な反応が来る。
様々な言葉、声にならない声を浴びながらベンチ横で、
次の中崎が出てくるまで待ち、一声かけて彼はベンチに座りました。
スタンドからは14番の背中がはっきり見える。
しばらく叱咤激励は続きました。
結果この回チームは3失点。
後を受けた中崎がベンチに戻ってくるのを出迎え、また一声かけました。
普段であれば、そのまま一度ベンチ裏に下がる。アイシングなどのケアもある。
しかし、彼は再びベンチに座りグラウンドを見つめていました。
もう涙はない。
このまま声を枯らしチームを鼓舞するのか。いや動けないのか。
結局、トレーナーに促されるまで、彼はベンチに座り続けました…。

叱られて叱られて偉くなる。叩かれて叩かれて強くなる。
カープの選手なら一度は目にしているあの言葉です。
大瀬良大地。今季の厳しい道のりは最後まで苦しく、辛い。
しかしこの道は、名選手が一度は通った道なのです。