8月6日。

きょう、広島は75回目の「8月6日」を迎えました。

新型コロナウイルス対策として、平和祈念式典の参列者も例年の1割弱と

節目の年は異例の年となってしまいました。

 

ところで、なぜ被爆75年が節目の年か。

 

それはやはり、原爆投下直後に

「75年は草木も生えない」と言われたことが大きいでしょう。

 

わたしが、この言説を学校の授業で習ったのは中学1年のこと。

特に感性が豊かなわけでもなく、

目標は「オールナイトニッポンを寝ずに最後まで聴くこと」という

岡山のユルい中学生にとっても、

「75年は草木も生えない」の言葉は衝撃でした。

 

それから1年経ってなかったと思います。

東京の中学校で、先生が生徒をナイフで刺し負傷させる事件が起きました。

当初は「荒れる学園」の延長線上という印象でしたが、

後の報道で、刺した先生は小さいころ広島で被爆し

原爆症とみられる体調不良を生徒たちにからかわれていたと知りました。

75年は草木も生えないと同じくらいの衝撃。

いまも鮮明に覚えています。

 

その後、わたしは縁あって広島のマスメディアに籍を置き

人生の半分以上を広島県民として過ごしています。

一方で、毎年8月6日が近づくたびに

「我ながら、広島が分かってない・・・」と気づかされます。

 

言えることは、ひとつ。

 

広島でアナウンサーをやるとは想像もしていない頃に受けた二つの衝撃を

一生忘れることはないのだろうと。

 

本日もお読みいただき、ありがとうございました。

合掌。